緑の山々が田んぼの水面に映り、風が吹くと爽やかな気分に誘われる季節になりました。田に水が入ると、何処からともなくカエルの合唱が始まり、早乙女の姿が似合う景色に、美しい日本の風景の一つに感謝せずにはおれない季節です。巷では米騒動にて、今年は特に早々と苗の予約が連日続いているとの話を聞きますと、人間世界の揺り戻しの一端が見えます。また、自然界では桜島の噴火継続により、今年の天候が心配され、大地の恵みがいただけますようにと祈るばかりです。そんな天へと意識する日本人の国柄が変容している事象に遭遇しました。
先日、義務教育の子育てを一段落したママさん達の会話を耳にする機会がありました。丁度、子育ても一段落をして高校や大学へと進む子供に伴い、自分に向き合う時間が出来たママさん世代のようでした。生活の中には、しっかりとパソコンや携帯電話のネット環境の中に身を置く生活に伺えました。
子どもの近況報告の交流で場が進むと、次はママさん達本人の会話交流へと進みました。どうも主婦から緩やかなお務めなどのグループの様で、最近若い方に触れる機会が少ないこともあり、久しぶりにテレビを見ているようでした。そこで本題は、子育てが一段落した後に訪れる自分のこれからの生き方探しがテーマになりました。その中で、ある一人の女性が現在進む方向性を決めかねており、最後の確認をと言いますか後押しを、昨日チャットGTPに委ねたそうです。答えは、自分の思っていた方向でよく更に細かい助言をもらい確信を持ったとの報告でした。まるで、手軽な占いの延長線上の使い方の様に伺え、ある意味新しい空気に触れた気もしましたが、頭のどこかで・・・という空間が出現したのも確かです。情報としてチャットGTPと言う言葉は知っていましたが、実際に使う事もなく、また周りにそれを使う人間もおらず、必要性も感じていませんでした。
むしろ頭のどこかで・・・という空間が発生する自分を問い直してみました。時代の流れについて行けない事への不安でしょうか。それとも歩む道の答えをAIに求める心情への違和感でしょうか。すでに昔人間と呼ばれる年代にて、ひがみでしょうか。そこでもう一つ別件で、言葉の意味調べに最近ではほとんど携帯で事が済む時代です。便利にて自身もよく使います。しかし、ネット上による表現と紙媒体の辞書による意味表現が違うものがあると聞き、それによって知り得た情報で思考をする過程で、現象が変わってくることを知りました。この二つの事象をふまえ、生き方探求において、自分の人生の羅針盤が現段階のAIに委ねる事で、どんな人生が待っているのでしょうか。