現代は生きる上で、経済、宗教、科学が基盤とされ語られます。振り返りますと、何時も両親の喧嘩の一つにお金が話題として登場していたように思います。後に、世の中を動かしている経済という事を知る材料が、成長期の体験にも含まれていました。
大都市が賑やかになるにつれ、家の中も電化製品が登場し、休日は娯楽やバカンスへという世界が広がりました。気が付くと、休みには映画、歌舞伎やデパート巡りから夜は外食へと。子どもたちが私学に通う事により、親同志の交流も増え、生活レベルは変わってゆきました。今で言う、中流という言葉を目指した時代の入り口だったのでしょう。
理由は不明ですがやがて、父は工場をたたみ大手企業へ勤めサラリーマン生活を始めました。母は、喫茶店という職種替えをして、母なりに自立の道を歩きはじめていました。当時、喫茶店の勉強に通い一等地での出店と融資の提案を貰いましたが、融資に関して父の反対を受け、住まいを改装し始まりました。昼間は区役所や銀行員などで喫茶店は賑わいました。時には、四軒隣の銀行への配達は子どものお手伝いでした。身体が記憶しているのが、銀行の中の事です。必ず銀行の中へ入ると、体がジンジンとして、足の裏が立っていられなくなるのです。更に、子どもを飲み込むような柵がある金庫近くへコーヒーを運ぶのは怖いものでした。運び終わると、帰りは銀行内の様子がよく見え面白かったのですが、後に、この体がジンジンする職場へ身を置くなどとは想像もできませんでした。また、体の受けるエネルギーも四十代頃になりその理由が分かりました。
さて、両親の新しい生活は軌道にのるかのように見えましたが、サラリーマン生活と自営業では互いの時間にすれ違いが生じ、喧嘩は増してゆきます。特に、戦前生まれの父にしてみれば、こうあるべき思考は強くおまけに職人気質がありますから、エスカレートします。こどもの目から見ても、サラリーマン生活と自営業では生活環境が違いすぎますから、必然的に会話を聞いていると、友達の家みたいにお金持ちなら喧嘩は無いのかもしれないと思ったものです。只、時には友達の心の声を聞く機会で、お金持ちの家でも悩みがある事を知り、知らず知らずに色々な面で比較という事柄で、思考の範囲は広がるものでした。
やがて、喫茶店は人の交流が賑やかになり、夜は父の職場の人から友人まで出入りが多くなりました。高度成長期というものは身近にあり、専門用語などの会話は不明でも大がかりな事へ取り組む空気感と、勢いを子どもなりに感じていました。ある時は、ホンダがアメリカへ進出をするという事で、父の親友が相談に来ていました。当時、テレビでしか知らない国を想像しながら、そのおじさんの希望と不安感を身近で感じたものです。それでも、夢があり大人たちは生き生きとしていたのです。空気感を感じていただけですが、その裏で莫大なお金が動く世界がある事をやはり四十代で知ることになりました。
子どもとしては、家庭が豊かになり、テレビ、映画、バカンスと知らない世界へ入るのは面白いことですが、幼児期の遊びとは違う疲れを知るものです。しかし、人間というのは疲れていても面白いことには、興味という形で持続できます。つまり、知らない世界へ連れて行ってくれるからでしょう。その代償として、お金の支払いが発生をして、そのために働くという事に気が付いたのは、成人してからでした。やがて自分自身も家族を持ち、子育てが始まると、夫婦の会話はお金のことで、ややもすると喧嘩に移行しやすいものです。これでは、親と同じことの繰り返しと気づき、制御する方法を模索するのですが、そう簡単にはゆきません。それは、人間同士の感情の戦いもありますが、さらに経済の背景にある何か分からい大きな見えないものと、戦うことが含まれていたからでした。