83.禅寺

 そんな、ゆっくりとした時間経過の中、しばらくして、

「木陰で涼んだおかげで体の汗もすっかり引いたわね。」

と宙美が私に話しかけてきた。私は、

「そうだね。まだ早いけどそろそろ宿に向かおうか。」

と宙美に言って、元来た道を辿って今日宿泊する温泉宿に向かって歩いていった。途中、行きに通り過ぎた小山の麓に通りかかると宙美が山の上に向かう石段を見つけた。

「ねー、この山にお寺があるみたいよ。」

と宙美は石段の先の山門を指して言った。行きには気が付かなかったが、確かにお寺の山門が木々の間から僅かに見えた。私は、

「まだ時間もあるし、ちょっと寄ってみようか。」

と言うと宙美も賛成し、さっそく石段を上がっていった。大木が生い茂る中、石段を歩いていると、宙美が歩きながら、

「少し涼しげで暗いけど木漏れ日が指してて素敵ね。」

と、言った。私は石段の脇に所々ある石碑やお地蔵様を眺めながらゆっくりと上っていった。

「なんだか、石段を上り始めてから不思議と空気が変わったね。」

と、私は宙美に返した。
石段を上り切り一礼し山門をくぐると石畳の歩道の先に本堂が見えた。こんな田舎のお寺だからか人気はなくただ鳥の奏でる鳴き声だけが聞こえていた。境内には綺麗に手入れされた庭園があり、宙美と私はしばらく庭園内を見て回った。その後手水舎へと向かい宙美が手を清めていると、

「冷たくてすごく気持ちいいわよ。」

と言い私も柄杓で水をすくい手にかけた。確かに夏真っ只中のためか目が覚めるように冷たい感覚は気持ちよかった。しかし、その冷たさは一瞬身体全体に行きわたり不思議と全身が清まった感覚があった。私達は手を清めた後、本堂へと向かう石畳に沿って歩いて行った。残念ながら本堂は閉まっており中は見えなかったが、お参りするためお賽銭を納めて手を合わせた。私は特に願い事などないため、以前神社でお礼参りのときと同じように、生死を分かつような交通事故でも生かして下さったことに感謝を込めて、

「生かしていただき、ありがとうございました。」

と心の中でお礼を言った。特にこのお寺と縁もゆかりも無い私だが思いついたことがそのことだけだったのである。私は宙美に何願ったのか尋ねると、

「私、何も考えつかなかったから、あなたが交通事故で死にかけてたけど無事であったことへの感謝を言ったわ。」

と応えた。それを聞いた私は小さく笑うと宙美は一言、

「何よ。」

と返してきたため、私は、

「僕もお願いすること無くて、同じこと言ったんだ。」

と話すと、宙美は、

「あら!」

と言って笑っていた。
その後本堂をあとにし石畳を歩いて山門に向かって歩いているとき宙美が、

「そういえば、このお寺、禅寺って書いてあったけど坐禅体験とかやっているのかしらね。」

と何気なく言うと、

「はい、体験、承っております。」

と、背後から人の声がした。私達は何の気配もなかった中、突然の声に驚いた。振り向くとそこにはこのお寺の住職らしき方が歩いて来ていた。袈裟を身にまとっているので間違いないが、歳は八十歳前後といったところだろうか。

「脅かしてしまいましたかね。
私、この寺の住職をしておるものです。
この寺はおっしゃるとおり禅寺で坐禅の体験も行っております。
このとおり山の中の小さなお寺ですから、体験しに来られる方はあまりいらっしゃいませんがね。
もしお急ぎでないようでしたら、どうぞ。」

と住職はとても優しく癒されるような口調で話された。宙美が、

「私、一度やってみたいと思っていたの!」

と言うので、私は、

「それでは体験、お願いしてもよろしいでしょうか。」

と住職にお願いした。住職は、

「承知いたしました。
それではこちらへどうぞ。」

と言われ、私達は住職のあとをついていった。本堂の脇から裏手に続く石畳の道を進むとそこには本堂の半分ほどの建物が見えてきた。

「小さいですが、この講堂の縁側で行います。
どうぞここからお上がりください。」

と住職が言うと、そこには縁側を上がるために置かれたのかとても大きな楕円の形をした石が置いてあった。住職は、

「その石を階段代わりにお使いください。靴もその上に置いてくださって結構です。」

と言われ、私達は言われるままに縁側に上がった。縁側は比較的広く床板は毎日綺麗に拭き掃除しているのか光沢があり黒光りしていた。住職は、

「今からご用意致しますが、坐禅を行うのは初めてでらっしゃいますか?」

と聞かれた。私達は一度も経験がなく全くの素人であることを伝えると、

「承知しました。
これから準備致しますので、ここで少々お待ちください。」

と言って、住職は講堂の奥へと入っていかれた。