台所から宇宙へ10

発酵器から出されたパン生地が、なんとなく気になり、暫く仕込み味噌の傍に置いてみました。パン生地と仕込み味噌は、お互いに同じ発酵のプロセスを歩んでいます。時を忘れ、この二つの容器を眺めていますと、なんとなくパン生地の気泡が活発のように見えます。そして、隣の味噌はいつもより発酵の色が進んでいるように見えました。多分、思考のプロセスをこのパン生地と味噌は立ち会っていた上で、ヒントを下さるのに一生懸命連絡をしあっているのだと思わされました。心の中でお礼を言い、暫く眺めていますと、二つの容器の周りがなんとなく薄っすらとモヤモヤして見えるのです。これは、まさに会話をというか連絡をしあっている空間に違いないと思い、他の会員にも見てもらうと、伝わってくるものがあると言うのです。やがて焼き工程に入ってもよい姿になったので、パン生地の容器の蓋を開けますと、なんと微かに味噌の香りがするのです。まさか味噌パンになるのかしらと思いました。次は、仕込んだ味噌の容器を開けてみることにしました。すると今度は、爽やかな酸味とも何とも言えない香りがこちらも微かにします。一瞬、リンゴの香りに近い感覚です。ここでも確かに交流している事が知れました。

いよいよパン生地を成型し、オーブンへ並べスイッチONです。どうぞ、「光を宿したパンが焼きあがりますように。」と何度も祈り、何度もオープンを覗きますが、オーブンの中では粛々と事が進んでいるようで、何も思わず子供心のように楽しく待っていて下さいと伝わってきました。ここでも、人心は必要ないようです。そして、焼きあがったパンを積先生に見ていただくと光が宿っているとのことにて、一安心しました。そして次は、光を宿した食べ物を必要な方へ届ける事になります。

ここで改めて一連のプロセスを振り返り、光を宿した食べ物について考えてみます。この国では、食べ物は神様からの頂き物としてしてシンプルに受け入れている民族と言われます。そして、自然界の恵みを心してお料理へと移します。そこへ至るまでには、恵みの食材の扱い方から台所へ立つ調理人の精神まで普通に問われる文化がありました。それは、人間の営みを正しく思考できる体づくりの食が存在し、子育てにも大きく働き、成長後は正しい社会作りをする人間に成長できる仕組みでした。しかし、今はこの仕組みが薄れて、自然界の恵みも科学という発達に目が向き、大量生産、大量消費のために科学の手が加わり、更にその食材を扱う方法も時短や豊富な調味料の登場で調理が進み、その結果登校・出社拒否症や成人病などが今や出現し、膨大な財政で国を切り盛りしてます。昔の日本人の食の捉え方は、植物も動物、鉱物、人間、物まで同じ根源の存在にて、自己中心的思考や所作ではなく、相手を思いやる配慮にて、とり行われた食で精神性を高め人間作りをしていたように思います。つまり、思いやる前提には愛がある光の世界で全てと関わる生き方があったのではないでしょうか。愛とも光ともいう道溢れた世界で運行されていた事でしょう。

光を宿す物作りのプロセスを経験させていただきましたが、本来はこれがこの国では当たり前だったのではないでしょうか。意識が物の物性を変える特性の正しい使い方が出来る民族が日本人だと考えます。只、今は時代が進み聖別という契約の基に配された方法で光を宿す事が、必要な時代にあるといえるのでしょう。それは、これまでの科学ではなく、本来進むべき科学であった本当の科学の道が始まっていると思います。