台所から宇宙へ18

毎年お盆が近くなると、テレビでは広島、長崎の原爆ニュースから始まり八月十五日を迎えます。今から二十年前、原爆に関して遺族の声に触れることがあり、つくづく「戦争とは」を考えさせられます。

それは、知人からの連絡で、従妹のエツ子さんという方が施設へ入る事になったので最後の面会へ行くにあたり、独り身の心細さと遠方の為同行をして欲しいとのことでした。そのエツ子さんの居られるところは、長崎の五島列島でした。

島へ渡る前に、長崎の被爆地の公園を訪ねました。何処からともなく聞こえる鐘の音の中、公園に到着すると奇しくも11時02分の投下時刻でした。ここまでの道中、知人からはエツ子さんの話を聞いており、胸の重い感覚で爆心地の土を踏みました。その地は、エツ子さんがお嫁に行くまで住んでいた長崎刑務所浦上刑務支所の官舎跡地でした。資料館へも足を運び、知人から聞いていたエツ子さんの人生を重ねながら見てまわりました。

その後、島へ渡り初対面とは思えない出会いにて、一晩話は尽きませんでした。エツ子さん曰く、昭和二十年は住み慣れた官舎を後に嫁いだ年でした。そして、初めての盆休みに里帰りが決まっており楽しみにしていたその矢先に、まさか両親、兄弟と別れるとは思ってもみなかったと。翌日連絡が入り、官舎へかけつけてみたものの浦上刑務支所も官舎も跡形もなかったのです。それから、毎日避難先を訪ねてみたり、官舎跡地や家族の手がかりを探したりと、その年の夏の暑さの記憶はないそうです。

ここで、前回の特攻の方やエツ子さんの事を思い出しますと、この時期はつくづく「戦争とは」を考える時間です。それは、夏になると蘇るように思えますが、しかし日々生活の中に違う形でこの戦いと言うエネルギーが飛び交っている事を認識しているでしょうか。戦争には種類が色々あります。足元から見ますと、兄弟喧嘩、親子喧嘩、夫婦喧嘩、パワーハラスメント、サイバー戦争、宇宙戦争・・・と、なんと当たり前のように存在をしています。そもそも戦いとは何時からかと調べてみますと、地球上の歴史に一日たりとも戦いに休みは無いようです。戦争史をプリントアウトしようとしますと、メートル級の紙が必要になるほどの記録が出てきます。始まりは生きるための作物獲得に続き、労働、土地の奪い合いから、やがて智恵により奴隷を使い奪い合いを代行、更に近年は情報による洗脳で自滅型戦争と言う方法で、全ての富を得る事に戦いは変遷しています。更に直近では、2024年8月5日のホワイトマンデー事件により、日銀の利上げにより、日本株の空売りで日本人の富である労働力が盗まれました。これは、言葉や武器などでの戦いではなく、机上のPCマウスクリックでエネルギー(カロリー)の獲得がワンクリックで可能になっているそうです。特に、このエネルギーベースでの戦いは、人間の感情も大きく関与し、例えばこの戦争を考える中で人間は善悪とかの思考上怒りという感情が発生します。この感情というエネルギーを世界の市場ではカロリーと言うものに変換をして思考するそうです。

怒りエネルギー = カロリー トゥ ダラー($) ⇒ 儲かる という仕組みです。

何時の時代も戦いのプロセスには、民衆の感情がつきものです。特に、怒り、不安、許せないなど、集まれば集まるほど強力になり大きなエネルギー体になります。やがて、戦いへと移行すると武器が売れる。武器も今やパソコンのチップの性能次第とか。そのチップをこの豊かな日本の国土上で作られ、武器の取引へとなり、国民は体を使わずとも戦争へ加担していることになります。その種を発生させているのは、一個人の心からと言えることになります。

さて、エツ子さんとお別れする時間が迫る中、「施設に行くけど、もうちょっとで両親や兄弟に会えるから幸せよ。生きていく中、色々な感情が交錯したけど、唯一縫物の時間で心を整えるよう努力をしたの。良かったら、この小物を記念に貰ってくれる。」と言われ、ちりめん着物布の小物カバーをいただきました。子供さんもおられず、ご主人を送ったのちは、静かに心のほころびを一針一針の糸で繕ったことでしょう。

ここで学んだのは、日本人というのは人生が終わるまでに、自分の心の整えをする民族であるという事です。特に、戦争を潜って生きた方は、声に出さずとも心の始末をしていたという事です。今は、昔と違い情報過多ですが、それでもその中で正しい歴史と生活圏の仕組みを知り、個々が正しく思考することを求められている時代ではないでしょうか。