台所から宇宙へ60

今年は、一千年に一度と言われる冬至だそうです。今朝は真っ白な霜に包まれた中、清々しい空気を胸に、夏至に向けてスタートしました。さて、御神木の言葉に導かれ、探し続ける約束事。そして、精神学の道に入り迷いながらもどうにか歩み続けています。師曰く、「ヒトは、死ぬまでできることは、農業とおそうじです。」との言葉に、人生模索しながら年を重ねています。記憶が無くとも人間の内には、人類の歴史が書き込まれており、その歴史の時間と向き合いながら、未来を見る作業も生活の一部となりつつあります。

前回記述の草刈りは、国土を見下ろせば、ほんの小さな小さな一点の溜め池整備のおそうじですが、やがて一筋の光となりて綺麗になる光景は、生まれ生きててよかったと思う瞬間であります。その過程を、記述しておきます。

内陸で山に囲まれた地域では、稲作農業においての溜め池は大きなはたらきをします。河川から離れた所は必然的に地形の高低差を利用し、水瓶となる溜め池を作り、水の確保で一年の稲作りができます。その山あいの姿を空から見たとして、一枚の植物の葉に例えて想像をしてみてください。羽状脈の葉脈と葉脈の間は山の緑です。その葉脈先に点みたいな溜め池がり、その池から流れ出る水路が葉脈にあたり、谷を水が走ります。その葉脈水路に沿って棚田が並びます。やがて葉脈が集まり太くなる維管束が川に当たり、その維管束の周囲は堆積物による小さな平地部分と言える景色でしょうか。維管束に当たる平地には、畑や民家が点在し、さらなる川の流れに沿って道路が走っています。時には、葉脈水路の長い距離には中間地点に更なる溜め池が作られています。そして、近代化のお陰で農機具も各農家に行き渡り、70代80代の方が機械を操作して、現代農業は進んでいます。その様な環境下で農業も高齢化の波により、農作物作りの田畑の管理から溜め池の環境保全など人手不足の課題が表立ってきました。それは、田畑の管理が先になり、山間部の溜め池の保全草刈りは、後回しになりがちになります。そのため、流水に支障がない程度の草刈りになり、最初の地形が見えない状態で作業は終わってしまいます。そのような中、近代化のロボット草刈りの現場へ同行をさせていただきました。8月下旬から12月上旬にかけて22ヶ所の溜め池へ、一ヶ所が其々2から3回のペースでまわりました。そして、よく民俗学では、地域に存在する池が一つの文化を成していると言われます。その証拠として地域の灌漑に大きな役割をなした所は、古地図や絵図に地名や伝承として描かれ残っています。その歴史的内容を含むその池や場に存在するエネルギーに出会うこととなりました。

始めて足を運んだ①池は、市街に近い小高い丘にありました。そこでは、精霊(8月下旬頃はその存在が感じられました)らしきエネルギーに訴えられ、そのエネルギーに導かれて向いた先が電信柱でした。その柱の立っている域は、どうも岩山のようで椿をはじめとする木々が苦しいとの訴えでありました。その後、他の池でも違和感を感じるものがあり、特に山頂付近の池では、神聖さがなく、怒りで人を受け付けないものを感じ、ご挨拶をしても草刈りの許可が出ない状態でした。また、山に位置する池もどれも共通して、無表情の空気感で、人に反応してくれないと言った感じでした。どちらにしても、山と人間界に隔たりがあり、無表情の様に見えても悲しみを過ぎて、怒りのような怖さを感じる場になっていました。

やがて9月に入り県境の山頂近くの②池で、始めて言葉が出てきました。

「こころしずかに このちまもりゆく」

守るとは何を守るのかと疑問に思い、池の名前を調べてみますと太平記の頃より残っていた地名で、時が過ぎても名は変わっておらず、峠でありました。そして、歴史書には関所を置いていたとの文献がありました。お清め後、草刈りをしましたが、赤ちゃんの頭大程の石が多く機械への負荷があり、一部を残し帰路につきました。途中気がつくと眼下には高速道路があり、県境トンネルの上でありました。一瞬、線状降水帯に見舞われる地域にあるので、池の下の谷がトンネル出入り口に繋がっていることが分かり恐怖感が襲いました。地を守るものありとはこの事かもと思わされ、ことの意味を確信をしたのでした。そして、お守り下さることへ、感謝の意を伝えました。

9月下旬には、温泉地から程近い山の山頂近くに、古池と少し下方に新池とがあり、中間に十メートル角ほどの小さな池がありました。その日は、古池の草刈りでしたが道を間違え、先に新池へ辿り着きました。山道にしては舗装のされた道で、上がりきるとそこは敷石の敷かれた広場になっており、立派な碑が立っていました。そして、その碑の横には薄暗い人が屈んで入れるくらいのトンネルがあり、トンネルから吹く風に体が緊張します。予備情報として、毎年地元の小学生が山へ入るので草刈りをしておいてくださると助かると聞いていましが、その日の予定は古池でしたので、下見だけにさせてもらうことにしました。しかし、ここでも言葉がありました。

「まちわびて とききたり とびらひらく」と。

そこへは、石碑にこの地域の歴史が載っていました。ここは、江戸時代中期に干ばつで年貢が収められず、一村逃村したという悲しい歴史のある地でした。この水不足に苦悶した末、明治中期に水源地を隣村に求め、周辺の山瀬を集めて池に引き込む大掛かりな灌漑工事を行なったと記されいます。山腹斜面に蛇行して掘られた集水溝は深さ二十㌢、幅三十㌢、総延長十五㌖。更に、集めた水を池に送り込む隧道(トンネル)堀りは、高さ一㍍、幅八十㌢、長さ四十六㍍の硬い岩盤やもろい岩肌を全て人力で掘り抜かれ、苦闘した人夫役は延べ一万人とのこと。開削以来、百数十年今でも周辺の水田七㌶を潤しており、明治の人々の気骨精神を伝え継ぐために、毎年地元の小学校では四年生になるとこの集水溝へ訪れ、先人たちの偉業を語り継いでいるとのことでした。この日は予定されている山頂付近の古池へ向かうため、池と集水溝へのお清めをさせていただき、改めて来ることを伝えその場を後にしました。そして、その日は古池のお清めと刈り取りをして、帰路に着きました。途中、中間にある小さな十㍍角の池が、何故か白濁した油膜の浮いた状態になっているのを記憶して戻りました。

10月の中旬、約束の新池の草刈りをさせていただきました。前回よりかは、トンネルの暗さも少し減っているように感じる中、お清めをして草刈り。更に、小学生の訪れる広場も整えて終わりました。戻るころに、

「かなしきときを わすれじと

つたえありき ときのこえ

まもりゆく ちのめぐみ

つぎにうけるものに ひびきわたれ」とのことでした。

やがて10月になると、お酒を必要とされる池も出てきました。それでも、始めて訪れる池は反応がなかなか無く、刈り取るまでの許可が降りるのに時間を要しました。そのような中、倒木の木々や廃材が積み上げてあり長いススキに覆われ、荒れている③池へでのことです。反応もないまま、何故かすっきりしない作業風景を見ているうちに、ふと地形を見回すと神社らしき存在に気づき、慌ててご挨拶に行った次第です。小高い丘は大きな一枚岩の石山でした。鎖の助けを借りながら、十㍍ほど登ると小さな祠が三つ程ありました。その祠の真下が、倒木の木々や廃材が積まれ、長いススキに覆われた場所でした。更に、その後ろへ池が存在します。その後、草刈りロボットは気持ちよく動き、すっきり感が出始めました。それでも草刈りだけでは、すっきり感が出ないのは辛いものです。出来れば倒木や廃材も綺麗にしたい所ですが、地域との連携がない場合は手をつけず、お清めにて出来るだけのことはして戻ります。その戻りがけに、言葉です。

「このち まつりしものありて とき ひびきわたり

ここのえの……     このはなさくやひめ」

間が空いた流れに意味わからずして、時を過ごしました。やがてその答えは、十二月に入り出ました。                          続く