台所から宇宙へ43

お彼岸を過ぎると、気温上昇は一気にすすみ、虫や鳥の数が増えました。また、山裾には梅、桜、雪柳などの蕾が膨らみ、うっすらと色味が増して、いよいよ春本番になります。思い返しますと、一年前この時期は雪の中の移転にて、心身共に慣れることに一生懸命でした。また、段ボールの山に囲まれた中、物の多さに辟易したものです。そして、一年後の現在、開封されてない段ボールの対処の課題が浮上しました。

人の一生に、これほどまでに物が必要なのか再度考えます。

まず、親世代の遺品です。身につけていたものは大方整理をして、散骨証明と思い出の写真の保存箱が一つとなりました。残りは、何もないとはいえ二年保存の年金関係、健康保険や介護保険の通知書、施設での書類等、約みかん箱一個×五個(母三人)分の印刷物の整理が残っていました。もう何処からも問い合わせは無いはずなのでシュレッダーか焼却へ。但し、この書類にのっているエネルギーの浄化が必要となりました。何故ならば、紙媒体の数字上ですが、ここにはお金と言うエネルギーと、年金などは国民の税金経由ですから国民の働いた思いや意識も含まれます。なので浄化が必要になると考えます。何故なら、手に取り書類を見ているだけで、受給者の思いや提供機関の意識が伝わるからです。その内きっと、国民の税金への不満の思いが膨らむと、やがて矛先が受給者へ向く時代が来るものと考えます。過去であっても、ヒトの意識は死者へも向くからです。それにしても、この国の老後は紙の書類が多いことに、ビックリします。年金制度や保険制度の登場で書類が多くなったとの事ですが、事務処理の量が両親で倍になり、実家の両親を入れると四倍になります。さあ、これからは、事務処理や本人確認をAIの登場でもっとスピーディーになる事でしょう。老後は、AIと仲良くする事が必須になるのでしょう。そして、今のうちに後の世代に迷惑をかけずに終わりたいので、わが身の書類関係の身辺整理をしておくことが優先となりました。

次は、衣類の再検討です。一年がたってみて、おおよそ衣類の種類と数が絞れるようになりました。正直、農作業用が日常服となり身軽で行動が楽な生活になり、地域に馴染みだしました。後は、和ダンスの着物類です。一度しか手を通したことが無い喪服一式や和装をすることが無くなって久しくです。健康情報が溢れている昨今、帯を締め、腰をたてて姿勢を保ちお掃除に励めば、健康器具は不要との話も聞きます。また、喪服もこの国では本来白だったと知り、思えば祖母の和ダンスに白の着物が納めてあったことを思い出しました。当時は何も思わず、近年になり不思議に思い調べましたら明治の開国時に西欧の弔問客に合わせ黒へと変化していったようです。しかし、日本では白と言うのは穢れが無いという象徴にて、今になり白の喪服がしっくりくる気が致します。そして、もう一度着物文化の意味を、今年は考察してみようと思います。

次は、台所用品です。地方というのは、今でこそホールなどで葬儀を行いますが昔は自宅から送りだすのがほとんどでした。その為、揃いの座布団からお膳など調度品が一式あり、納戸や蔵に保管されていました。お葬式時、旅立ちの時は弔問の方へ失礼の無いようにという意味があり、お接待されていたとのことです。やがて、地方から都市部へと人口が移動したことで、町内で協力をしてお葬式を行い、その町内葬も個人化してホールでと、ここ四十年程で変化をしています。そして、田舎もお葬式がビジネス化され、ホールでの送りがほとんどになりました。ですから、沢山の座布団や食器を必要としなくなりました。ここで、この調度品が田舎の家の十軒のうち半分はまだあるようです。やがて、これが遺品整理に登場をし始めています。では、当方の台所用品と言えば、一年前の移転に伴い揃いの調度品は整理しましたが、それでも一年開封しない段ボール箱がやはりあります。ではなぜ開封しなかったのかと言いますと、必要性が無かったからです。意外とシンプルな状態でこの一年生活が出来ていたという事になります。それは考えてみると、不安やもっともっとと言う波動又は周波数に影響されにくくなってきたからです。つまり、生きていく上で、必要に応じて与えられるという世界を知ったからです。

人間は、物が無かったらどうしようという不安に駆られますが、最近ではこの不安は変化をしています。例えば、畑に落ち葉が必要と思うのですが持ち山が無いので思案をしていると、数日後大雨の水路に運ばれて、畑の入り口の段差に落ち葉が集まっていたり、また場面に応じて人払いがおきたり、道具や車の性能が変化をしたりします。つまり、一人で動いているのではなく、見えないエネルギーと共に動いている感が増えてきました。その反面、負のエネルギー領域へはまると覿面、道具や車への影響が即座に出るので分かりやすくなりました。その変化のスピードは一段と早くなり出しました。

さて、ダンボールに物を詰めてしばらくは置きましたが、開封をしてよくよく見ると思い出を閉じ込めていたり、何時か必要と思うその何時かは、何時の事やらです。この波動を纏っている限り、生活上何においても意思決定の阻害になる事がよくわかりました。物も、この為に使うと決定付け、物として働くことを実行させることが生きるいう事に繋がると考えます。その意識状態を、見えない世界は見ており、それに応じて取り計らいが発生するのではないでしょうか。

ある人が、いくら物を作っては破壊をしてもこの地球上の中の事にて、大きく循環しているから大丈夫と言われ当時はそうなのかと思っていましたが、その話には物のもつエネルギーは含まれていない話だったので、今では違和感を感じています。この見えないエネルギーの本質をキャッチするようになったら、きっと地球上だけの話ではないことがこれから判明するのではないでしょうか。