台所から宇宙へ44

今年は、庭先の雑種地を猫だけでなく雉が横断をするようになりました。鳥類は、葉芽や虫を探して歩く様ですが、野菜の葉先を啄ばんでは周りにお土産の糞をまいて立ち去ります。それでも自然界の法則は守り、中心の花芽になる部分は決して口をつけず、種を残す事には介入をしないようです。そんな様子を数日眺めているうちに、菜花としていただく間もなく、塔立ちの菜の花畑となりました。黄色と黄緑のツートンカラーが、花壇の煉瓦を額縁に、春の季節と香りを楽しませてくれています。

そんな春の芽吹きを食卓へ運ぶのは、今の季節ならではの豊かさです。雉に習い畑を散策するといつの間にか、ヨモギやカラスノエンドウ、ナズナなど姿を見せていました。また近くの農産物館には、フキノトウ、タケノコ、ウド菜などが出始めており、春の産物を種々いただける時期になりました。

昔、TVドラマで「始末の料理」という言葉がありました。「天下の台所」と言われた上方商人の料理の事で、「始め」と「終わり」という字の通リ、つじつまが合いそろばん勘定が出来ているという事だそうです。上方ではお料理にそれを表現しており、鮮度の良い安いサバを一匹丸ごと買い求め、三枚におろし、身は煮物、焼き物、すしなどをし、頭と中骨のあらでは野菜と煮て船場汁と言いう、忙しい商人の町の定番料理があるそうです。当時は安く、時間もかけず、栄養価に富、鯖のあらまで無駄なく使い切る精神です。

今、スパーで見かけるのは切り身の並んだパックがほとんどです。夕方になると頭付きの魚が淋しそうに見えるのは、気のせいでしょうか。また、野菜でも同じことが言えますでしょう。大根一本もやがて葉は無く二分の一本にして売られます。それを見て育った子供たちは、料理教室へ来て最初は戸惑います。特に切り身の魚が食卓に並ぶことが多いご家庭では、お頭付きの魚は給食にでるシシャモ位のようです。しかし、チャレンジ精神に火が付くと、意外と子供は出来上がった刺身に感激をして、更に自分で捌けたことで魚への見方がかわります。スパーに並んでいる刺身や回転すしの魚の味とは違うからです。そして、魚のあらの吸い物に更に感激をします。野菜も同じことで、根から葉まで全て食せる事を伝えます。このことにより、魚の目が見れるようになり、命に少しでも向き合えるようになります。

これらを顧みて、日本の台所事情が子供を育むことへの影響化が見て取れます。始めと終わりのない、「中」つまり今だけの食事情は、人生の始めと終わりを思考しない方向へ進んでいるのではないでしょうか。欧米の栄養価やカロリーベースの料理に関心が注がれ、日本独自の風土の食がなおざりにされています。また、子どもがサプリメントを飲む時代になっていると聞きます。しかし、料理教室を行っていく中で、春になると山菜を食しますが、山菜から読み取れることがありました。子供さんによっては、これが美味しいと言って一種類の山菜しか食べない子がいますが、調べてみますとそのお子供さんの弱い所(臓器)に必要な山菜を食す傾向にある事に気付きました。それだけ子供の食環境は壊れているとも言えないでしょうか。本来人間は、その地域地域の風土に根ざした季節を感じて愛で、季節の物を食して、その産物へ感謝を伝える事での成り立ちと考えます。本当は必要な物はいつでも自然界が与えて下さり、身の周りに何時も存在をしているのです。