近年、全国にクマ出没ニュースが頻繁になっていますが、この地域でも同じです。続く日は毎日、町内の有線放送による熊への注意喚起が流れます。今のところ山麓の民家点在のギリギリ領域へ、出没痕跡の発見に留まっていましたが、とうとう遭遇者の腕が噛まれたニュースが本日でました。初めて生活圏の中に熊が身近になり、本能的に恐怖心が襲い掛かりますが、地元の方は慣れているようで、繁殖時期には毎日木を燻し焼きしてその煙を風に載せて山頂へと送る光景や爆竹を慣らすのには、初めてみる者にとって「生きる知恵」に感心をします。そして、畑から三キロ圏に迫った情報に対して、素人としてはせいぜいクマよけ鈴を持ち歩くくらいがせきのやまです。
さて、畑の③虫や鳥獣の観察です。出没者は、バッタ、カエル、ヤモリ、カナヘビ、トンボ、蜂、アブ、蜘蛛、モグラ、雉、燕、鶯、ホトトギス、雀、キツネ、鹿などが見受けられます。夏休みの自由研究には事を欠かない環境です。お陰様で、イノシシは皆無でこの地域では電柵も今のところ見受けられません。それには理由があり、ある大型施設のフェンスが山の中腹まで設置されている事により、そのフェンス内にイノシシが棲息をしているとのこと。そのフェンスにより民家までは移動できないとのことでした。クマや鹿は山中を自由自在に移動しているようです。
そんな中初めて撒いた大豆の種は、モグラ街道部分が全滅でした。発芽をしないことに気づくまでは気温が足りないのか冠水による水没で腐ったのか判断ができませんでした。しかし、ある日モグラの穴にしては少し大きいのではと気づいた時、北側の一画に畑をしている方から、今年は大豆の芽を鹿に食べられたと聞き、よくよく観察してみますとどうも鹿のヒズメの形が乾いた土に現れ、新発見です。冠水で種が腐っていたのと、鹿も鼻先を入れ食べていたようです。原因が分かれば、再度種で撒いたりポット苗を作り再挑戦です。今度は、新芽の時に食べてもいいけど人間にも残しくれるように鹿に伝えておいてと種に話しかけながら撒いたり植えたりしました。
功を奏してか、新芽は食べられもせずに順調に生育しました。次に、発芽から三~四十センチ位のころ、一晩で葉先が全て食べられていました。これは、また鹿に食べられたようです。ここで一瞬心が乱れそうになりますが、よく見ますと花芽が残っていました。これも、昔自然農の方から聞いていたことを思い出しました。自然界は共生をしているから植物にとって必要な芽は、生育必要段階において絶対食べないそうです。このプロセスにおいて条件としては自然界に任せることで、人間の欲意識は入れず見守る事でした。植物は虫や動物に食べられると植物ホルモンを出し、ある段階から防衛に入るようです。ここでも土の中の微生物に任せるのと同じで、虫や鳥獣を敵にまわさずに全て自然に任せることでした。、後になって分かった事は、鹿のおかげで軸頭頂部の摘芯作業は不要になりました。むしろ、鹿へ感謝を伝える事になりました。
ここでも自然界の法則に学ぶこと然りです。人間界も相手に任せるという行為が自然体でできれば、事の流れはスムーズに行くことでしょう。今思えば子育てにおいて、子どもを信用して行動の制限をしなければよかったと思う次第です。どうしても転ばぬ先の杖を用意した事へ反省するばかりです。子供世界に、大人の関与は不要では。何故なら、子供同士の折り合いのつけ方が必ずあるのでしょうから、余りにも大人の意識の介入が多いことにより、その折り合いをつける学びの時間を奪っているのが現代かもしれません。
よく小さな子供たちは、普通に虫や生き物を触り遊びます。時には、嬉しそうに捕まえた虫を見せにきて説明をしてくれるのを見ていると、子どもたちは好奇心からの出発から自然に意識交流をして接触をしているようです。交流が終われば、また草へ戻している姿を見ていると、虫の方から相手を優先すれば共存の世界が現れることでしょう。そこで思うのが、まだ経験はしていませんが、熊と遭遇してもこちらの意識次第で結果が違うのかもしれないと思います。実際に人間は命を獲ることばかりしていますから、いざその時に自分の命を差し出せる境地に至れるか自信はありませんけど、無の境地になれば熊も人も波動的にわかる世界があるのではないでしょうか。その様な事を考えながら畑に意識を向けると、今夜も天の川の流れる夜空のもとで、生きものたちは命の巡りを進めているようです。