闇のマネー その八

金( GOLD )とマネ

国際金融資本家達は、このように人に資金を投資し、戦争の戦利品としてかき集めた金( Gold )を自分達の手元に集めることにも余念がありませんでした。 

 日本でも、1853 年のペリーの来航を契機に、大量の金が日本から海外に流出してしまいました。当時、金と銀の交換比率は世界と日本では異なりました。日本においては銀の価値が他国よりも高く設定されていました。例えば世界で金一に対して銀十の交換比率だったと仮定しましょう。日本での交換比率は一対四だと仮定します。そうすると、外国人達は4枚の銀貨を払って日本で金貨を1枚手に入れます。そうして外国でその金貨1枚を銀貨10枚に交換し、その銀貨を日本でまた金貨に交換するのです。すると、2枚半の金貨が手に入ります。そうしたら日本の金は ただ金と銀を交換するだけでエンドレスで流出していく、といったカラクリです。後半には幕府も対応策をとったようですが、時既に遅し、です。 

 外国人達は日本人が素直で善良なのをいいことに、この仕組みを利用して日本の金を大量に入手していきました。彼らは詐欺師のようなものなのです。まあ、早々にこの仕組みに気が付かなかった日本人に非があるのですがね。 

 次に、ドイツの例を見てみましょう。第二次世界大戦で行われたことは、次の通りです。当時ハイパーインフレに陥ったドイツのマルク紙幣では外国の信用を得られません。しかし、資源に乏しいドイツは兵器を作るために外国から資源を購入する必要がありました。ドイツマルクでは資源を売ってもらえないので、金( Gold )で資源を購入することになりました。しかし、そのうちその金も底をついてしまいます。そこでナチスドイツが行ったのは、隣国の金を強奪する、という方法です。まずはオーストリアの金が大量に強奪されました。その金を使って、資源や武器を調達しました。そしてドイツの金を管理していたのはスイスの銀行です。 

 オーストリアの金が強奪されたのを見たドイツ周辺の国々は、同じ目にあう危険性がありました。そこでドイツに金を盗られないように、遠くに金を保管しようと考えます。その結果、多くの金がスイスやロンドン、アメリカ、カナダに流出したそうです。そうして集まってきた金を手にした一団が、こっそり自分達のために活用した、ということなのでしょう。危険を回避するために移動した先の金融業者が、実はドイツのお金を管理し、ドイツにお金を融資していたのです。