人生の中での出会い 3

子どもの成長期というのは、本物を見る、聞く、触るなどはとても魅力的な世界であります。そのツールは、書物、人物、体験等で影響を受けて成長をしてゆきます。その成長期、家庭環境のみならず、通った私学では本物に出会う事を重要視する教育が待っていました。

その教育の出発点は、学長自身にあり、1941年12月2日日本の大本営からの暗号電文「ニイタカヤマ ノボレ」の打電職務に就いていた事でした。戦争へと進んだ現場の中で、教育の重要性を自覚し、退所後教職に就き、打電の指先の記憶を、生涯チョークとペンと筆に持ち替え生きる原動力にしたと、礼拝堂でよく講話をされました。また、生きる力をつけるには、本物を見聞きし、体験の数で築いてゆくものとも言われました。。

当時、学び舎には世界から色々な分野の著名人が視察や交流に来られていました。そして、歓迎式には相互の国家斉唱は日常茶飯事でありました。ですから、通学電車と同様に、世界も大家族という空気感が自然に流れていたものです。また、国内では能、謡い、雅楽、三味線、演劇、漫画、スポーツ、芸能、経済界・・・各分野での家元や後継者、その家族等公私ともに学び舎での交流環境があり、日常の中で知らず知らずに時代の人物と出会っていました。ですからその世界の仕組みも色々と教えてもらえたものでした。興味を持てば、その世界への入り口は近かったともいえます。その著名人の中で未だに心に残るのが、哲学者・医師・伝道師・オルガン奏者として、アフリカでの医療活動を実践したアルベルト・シュヴァイツー博士と、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者で、20世紀のクラシック音楽会で芸術監督と言われたヘルベルト・フォン・カラヤンにお会いしたことです。

しかし、人の出会いだけでは生きる力はまだまだ力不足です。次に出会うのが体験です。それも出会いの反対の人と離別するという経験をすることになりました。それは、人生で初めての谷底と言っても良いかもしれません。その期間、谷底での光が、シュヴァイツァ博士の言った「人生の惨めさから逃れる方法は二つある。音楽と猫だ。」のことばのように、音楽と自然界が光として支えになってくれました。シュバイッア―博士のブルーグレーの瞳の奥の光や、カラヤン指揮の音楽空間と彼の握手から伝わる(表現が見当たらいのですが)、分厚いエネルギーは未だに身体が記憶をしています。多分、今で言うこれを波動というのでしょう。この波動は、体に沁み込み人に何らかの影響を及ぼすと自然に学ぶようです。

その後、家族から学生生活から社会の空間から、別の時空へと逃げ込んだ時間が始まりました。この体験期間も人生の成長には必要だったのでしょう。