台所から宇宙へ22

前日の雨により清められたかのように当日は晴天となり、墓石の作業が進められました。時間と共に気温上昇の暑い中、丁寧に工程を進める職人さんの工事に同席をしました。石の目とか道具、解体の技術に見とれ、更に若い青年がこの技術を継いで、作業をしている姿は頼もしいものでした。そして、日本人の精神誠意行われる姿は、この国の宝と思えてなりません。休憩時間の会話の中に、最近では、電話一本の依頼でご家族の同席も無い墓仕舞いや、中には遺骨の受取りなく処分をも依頼されるそうです。こんな時代の変化の話を聞きながら、工事は進みました。

改めて工事の時間中にゆっくりまわりを見渡してみますと、いつの間にか草木に覆われた無縁仏や、寄せ墓の敷地にはお参りの形跡が見えない事などに気が付きました。参道の途中も集めた墓石が徐々に崩れ始めていることや頂上付近では倒木によることで墓地までたどり着けそうもないように見え、思ってた以上に山の崩壊は進んでいるようです。

やがて工事も終盤のころに、何処からともなく「うちもして欲しいな。」「こっちも頼みたい。」などと、あちらこちらから波動で伝わってくるものがありました。やはり人として綺麗に終わる方が良いに決まっているという事でしょう。しかしよく考えてみますと、生きていた時に人間界での思考や行動がこのような結果として現れるのではと。これはやはり生きている時に、生き方や終わり方をしっかりと思考し,自分の希望を家族に伝えておき、実行してもらえるように準備をしておくという課題が、目の前に迫っているという事になります。

この墓仕舞いについては、ここまでにたどり着くのに二年近くかかりました。実際にはもっと時間がかかっていますが、大きく行動に移せたのがこのくらいという事です。お墓はいらないというテーマの中で、世代間の意見の違いやご先祖様の生きた形跡の整理、そして今生きて先祖を受け継いでいる自分たちの生き方や思考までなどを整理した時間を辿りました。そして、時が来たことにより無事仕舞いができたものと考えます。つまり、物質的に仕舞うのではなく、代々のエネルギーの開示、歴史的背景の勉強をもしたうえでの流れによりたどり着けたものと考えます。その間、苦しいエネルギーも含まれましたが、全て担うと覚悟をして出来ますようにと天に祈り、今日にいたりました。その結果、墓仕舞いの次の日から直系の家族の者はつきものが取れたみたいに、振る舞いや身体も変わりつつあり、次へと歩きだしています。

このすべての行動は、波動と言うエネルギーの認識により歩むことができたと考えます。この地上から天空へと抜けて、宇宙からこの地球のこの小さな墓地跡を見た時に、この墓地跡が光り輝いていることを祈ります。       次は散骨です。