台所から宇宙へ51

令和七年の夏至は六月二十一日とのこと。早いもので、今年も半年が過ぎようとしています。ここからは、陽の時間が短くなり出し、次第に自然の気が冬至に向かい始めます。また夏至は、稲の分決を願いそれを模したタコ(足)の料理をいただくそうです。最近は地物のタコが少ないので、なかなか出会えそうもないようです。そして、ついこの間までは、春の芽吹きの勢いに感激をして喜んでいましたが、今は庭さきにトンボが姿を見せています。少し早い気もしますが、トンボと言えば終戦時の最期の特攻隊を思い出し、日常に追われて思考していない戦争責任と向き合う時期でもあります。特に今年は、和歌山県の神饌行器で開催されました「美術刀剣・特別展示」会場にて縁あり、特攻の方の形見の軍刀との出会いをいただきました。

時は、昭和二十年九月GUQ(連合国指令部隊)の対日占領策において、日本人の武装解除の目的の一つとして、武器類(軍刀だけでなく、一般庶民の家宝の名刀、寺社伝来の宝刀、猟銃、火薬類に至るまで)の提出が全国に発命されました。「昭和の刀狩り」と称されています。その後、政府はGHQへ交渉を重ね、復員軍人所有刀剣を除き、刀剣は美術品と区別して一般庶民所有の場合のみ回収せずという追加指令の「武器回収令」を十月二十三日に出されました。(詳しくは刀剣豆知識をご覧ください。)

その中で、関東一円の武器は、東京都北区赤羽町にあった進駐軍第8軍兵器補給廠に集められ、国宝級も含め、残念なことに裁断、廃棄され、作業の採算が取れないものは放棄されたそうです。この時、兵器補給廠に残された刀剣を「赤羽刀」と言われています。そして、その中に含まれていた特攻の方の軍刀に出会ったのでした。その軍刀には、時間は関係なく本人の思いや両親への思いが伝わり、涙しては対面が出来ませんでした。そのような歴史を知らずに、「ベトナム戦争、反対」と声にして、自身の最悪思春期はその赤羽、十条に住んでおりました。ひと年過ぎ歴史を知らずして人生を生きていた事が、恥ずかしいと思えるようになったのはついこの間ように思います。しかし、歴史を理解するには、順番があるようで、疑問に思いながら物事の繋がりが分からない間は、とぎれとぎれに体験をしながらその体験のピースを一枚、また一枚と額にはめるようにして思考をするとやっと歴史の全体が見えだしたのが、今日この頃です。

先日もあるレストランで、三世代のご家族に遭遇しました。子供さんは三歳前のようで、しきりに座敷の座布団を見て「何で、赤いの。」と、何度となく問います。その質問は着席するまで続きました。ご両親は席順を決め座布団を敷くのに一生懸命です。同行の祖父母の方は、何も言わずただ笑顔でその質問を聞いていました。その子供さんのチャイルド椅子が届くとその「なぜ。」の質問は終息をして、次の興味に移行したようです。久しぶりに、「なぜ。」「なぜ。」の声を聞き、微笑ましくも、懐かしくもありました。この時期の「なあに、なぜ。」の好奇心は、人生を歩く時の友達みたいなものでしょう。この文字を書きながら、ソクラテスに問いかけてみると、この好奇心が人間の出発であるとのこと。自身も子供のころから両親の喧嘩や当時のベトナム戦争など、戦いの絶えない世界に、「何故、おきるのか。」「何故、絶えないのか。」と付き合ってきたものです。

そして、ひと年とって時空は違えども一つの線上で繋がっていたのが、自身の人生と歴史であったと実感できるようになりました。その実感のきっかけが、今回の軍刀であります。そのことにより、自身の人生の中の点が歴史の証言者となるようこれからは記していこうと考えています。