穏やかで温かいお正月を迎えました。そして、山や庭の木々は梅を始めとして新芽をつけており、畑では毎朝の霜柱により土が団粒化され、春に向け着々と準備が始まっています。只、気になるのは水路の山水が一滴も無いことです。年末に半日ほど雨は降りましたが、その後お天気続きです。また、県南に出向いた日は、肌の乾燥が著しく、天候だけでなく電磁波の影響も大きいのではと思わされました。それにしても、初めての越冬なので様子を見るしかありません。昔、母が「お水は鉛筆の太さ程あれば、台所の洗い物は充分できます。」と言っていた事が思い出され、実行中です。日々「当たり前」という事が無いことを、実感しています。
さて、お正月と言えばお雑煮です。北から南へと縦に長いこの国では、すまし汁から味噌や白味噌仕立て、みぞれ雑煮など味付けは色々なうえに、山や里、海などの産物が色とりどりに盛り付けられ、その土地の姿が映し出されます。お料理本を見ているだけでも、国内旅行ができそうです。そして、共通しているのは、材料の天然自然を尊び、それを吟味選択する臭覚、味覚、触覚が生き生きとしている波動が漆椀の中から伝わってくることです。そして、漆椀の底に待機しているお餅も関西の丸餅、関東ののし餅、豆餅、四国の餡餅など、その地方により独特の風習が隠れていて、宝探しみたいな気持ちになります。また、お餅はお年玉と言われて、魂を象徴とする生きる力や気力を意味し、年の始まりに神さから一年分を頂くという事がもともとの様です。ここでも、食は命に直結をしており、日本人は神様と共に暮らしていました。肉体的命だけでなく、精神的育みが生活の中に根ざしており、生きる民族です。その精神的育みの一つに、美と言うものが内在します。漆椀の漆の光具合や絵柄、文様など精神文化の蓄積が道具に表現され、それを愛でながら食材の波動と和合されたものを体に頂いているのが日本人のように考えます。そして、その和合された波動が身体の細胞に行き渡り、キャッチした細胞は更に波動をあげる体へと変換されると考えます。この波動をキャッチするのは、細胞の中の水です。
この水が、最近の研究では宇宙空間は水だらけと言う事がいわれています。ジェームズウェッブ望遠鏡によると、地球の空気に邪魔されないため、電磁波の多くの帯域を観測することができて、分かったそうです。宇宙空間も水なら、ミクロコスモスの体も水です。浄化上昇をすれば、相似現象で宇宙の情報も分かるという事になります。つまり、脳細胞の水と宇宙構造の水が相似現象になるのではと。
では水路の水が無いのはどうでしょう。県南の乾燥地帯は関係ないでしょうか。地形から考えると、水は下流(土中で)へと流れます。そして、蒸発率が高ければ上流の保水は低くなるのではと考えます。蛇口から当たり前に出る水。されど見えない空間を通過しての水。2年前の11月に県北のダムを通りかかった時、湖底がみえ水がありませんでした。その道すがらの国道には「節水」の電光掲示板が点在しているのに不思議でしたが、ダムの現場に行って見てその理由が分かりました。その年の冬の積雪を祈りながら、現場を去りました。それ以来「あたり前」という言葉が、感謝へと変わるようになりました。やはり現場が、一番です。
この年末に、親戚の家では漏水が発覚しましたが、原因不明のまま年明けに再調査が始まります。たまたま、その家族の体調不良の波動探査を希望されて、探査の結果「水神」さんが出てきました。探査後、地中で息ができないうごめいているエネルギーにて、現場のオマツリをすることになりました。とにかく、見える世界も見えない世界も相似形である事を認識して、今年一年現場を大切にしたいと思います。