満天の星空に天の川が見える季節から、朝は霜がおりだしました。また、山のご神木の銀杏の木も黄色く色づき晩秋を愛でに、カメラを手に人の訪れが増えているようです。来月はいよいよ師走に入りますが、年々一年が早いと感じるなか、今年は特に早かったと記憶に残りそうです。四季の巡りの中に身を置いてみて、人の一生も四季の流れと同じと思えるようになり出しました。それにしても、畑の野菜たちは霜にうたれて水滴が凍っても凛としています。陽が上るにつれて、葉脈は何事も無かったかのように、清々しい緑色を見せてくれるのには感激をします。前述の母を亡くした子供たちの事を考えますと、自然界のように逞しく成長することを願うばかりです。
今年は、一反ほどの地でも農家と言う名称に戸惑いながら、畑での作物作りを始めました。寒仕込みの味噌作りに向け、大豆を撒きましたが、結果は料理教室の子どもたちが撒いた方は成長がとてもよく、鹿も食べていなようで不思議でした。大人の撒いた大豆の出来は今一です。言い訳をすれば植え付け場所が梅雨の降水で浸水の為、発芽量が少なく、むしろ梅雨明に撒いた、小豆、ササゲは収穫が見込めそうです。また、モグラ街道のさつま芋は、一つも食べられていなかったのは奇跡です。そして、秋の葉物は何種類もの種を混ぜて撒きました。それは、自然界の木々を見ても並んで生えてないのと、混在種の方が強く生き残るという法則があるらしく実験をしています。芽が出始めてからは、何の葉物かを観察や名前の当てっこをしてから、教室の食材にいただきます。子どもは観察力があり、よく覚えており、野菜の声を聞きながら、畑を歩く姿を見ていると、土地の波動や水路の波動がよくわかっているようで、楽しそうに、自然と遊んでいます。そして、ある子供さんは進んで植え付けを手伝ってくれますので、来年度は作付け担当にお願いをすると、喜んで承諾をしてくれました。また、ちょっと虫が苦手な子供さんは、収穫をしてくれたり、コンクリートや歩道版へチョークで絵を描いて喜びを表現します。ですから、最近は料理よりも屋外の時間が、少しずつ多くなる傾向です。作付けが得意な人、育てるのが得意な人、収穫が好きな人など其々居ても良いと思います。沢山の人が純粋に関わり、楽しんだら畑も喜ぶのは間違いありません。因みに、自身の楽しみは雨の日の聖塩水の噴霧が一番好きです。野菜だけでなく、山へも届く気持ちで噴霧をしますと、空気も変わり元気をいただけます。作物からは、明日も噴霧して欲しいと返事が返ってきます。
話は変わり最近、寺子屋とか昔の塾の仕組みを調べていますと、テーマは「なすことによって学ぶ」とあり、作物の生命も人間と同じく愛情をこめて扱う事を柱としてもの事を学び、真の生き方を感じ取り、世の中で働く人材輩出へと寺子屋や塾の役目がなされていたようです。読み書き算盤だけでなく、往来物から今で言う経済(商売)、国際、国防(兵法)、更には女大学とほか多岐にわたる学びの場であったようです。寺子屋では8、9歳から15、16歳で、塾になると16歳か40歳以下での年齢で学んでおり、農と掃除は必ず織り込まれております。その様な中で、歴史を動かしてきた人材の輩出がなされていたようです。このような事から、この国では土から離れての人生はあり得ないという事になります。土の上に立ち、遠くを見据えて、生きる意味を我に問うという、そんな生活が日々当たり前にあり、自律を目指していたことでしょう。
出発は料理教室ですが、既に三歳から包丁を持ち、今では曜日により子どもたちがご飯当番をしていると聞きます。更には、ほとんどの子供さんの家庭ではプランターから家庭菜園などで、野菜作りを実践してくださる親御さんがほとんどです。そのことにより、土は身近にあり成長期の子どもたちには、大きな影響があると感じます。どうぞ、土からの波動を忘れず、逞しく成長することを願ってやみません。