台所から宇宙へ29

山肌の色が、黄色から少しずつ茶褐色に変わり始めました。そして来週からは最低気温が10℃を切るというニュースの中、初めての越冬にむけて足りるか心配をしていた薪が届きました。早速,薪割をしながら思うのが、何故か必要な物は届くようになりはじめ、自然界では本来何も心配なく暮らせるのではと思いながら、感謝の日々です。そんな中、突然の訃報が入りました。本当は、本日違うテーマを書く予定でしたが、何故か文字入力ができずにPCが動きませんので、訃報に触れて記述をしますとすんなりと入力できますので、変更をしました。

「子どもは神様からの預かりもの」

それは、六人の子育てママの突然死でした。子どもの同級生であり、中学生の頃から彼女の人生を見てきました。高校在学中、不良行為にて父親から「勉学の身で、人様に迷惑をかけるのなら学校へは行く必要が無い。」と言われ、父に退学させられて、住み込みで美容師を目指して自立をしました。ご両親は共働きで、特に曲がった事が嫌いな父親と看護師という母親のもと、彼女も気丈なところを持ち、子育てをしながら独立をして自分の店を持つまでに成りました。当時、乳飲み子を抱えての独立に、感心をしていました。やがて、上三人の子供さんは当方の料理教室へ通ってくれており、長男としての逞しさやはにかみやさんの二男、名前の通りに心優しい長女などの成長姿を見ていたので、胸が詰まるばかりです。

数年前に、シングルマザーになったと聞き、会社の切り盛りをしながら店に立ち、其のうえでの子育てと、更なる逞しさに彼女らしいと感心するばかりでした。厳しい父と看護師の母の元で育ち、親譲りの腹が座ると行動の早い彼女の気質を見ながら、その彼女の働ける根源は何かと考えたことがありました。彼女の子供時代はと考えますと、今でこそ働き方改革と言われますが、昭和時代の女性の特に医療機関で働く場合、我が子が発熱をしていても母親は勤務をするというのが当たり前の時代でしたから、彼女なりに淋しい思いを経験していたのではと想像をします。そして、高校のころ両親の離婚の道が浮上した頃、彼女の不良も始まったように思います。そんな思春期を思うと、心の成長期の変動は大きかったことでしょう。この変動期の思いをネルギーに変えて、働けたのではと思いました。

さて、立場を変えて子を持つ親としてみますと、何歳になっても子供に先立たれることは親にとっては大きな試練でしょう。それは、父親は死の数日前に娘の顔を見に来ていたそうです。また、人の死を沢山見てきたであろう母親は、娘の顔を見て「本人が一番納得をしていない。」と漏らしていたそうです。人は人生のプログラムを魂に持ち生まれてくると言われますが、これもプログラムなのでしょうかと問いたくなります。そして、六人の子どもたちは、それを選んできたのでしょうか。

同世代の親の身として、子育ても済み老後に入る時に、これから孫の子育てを余儀なくされることに、やはり人生とはと言うものを考えさせられます。自身も親の離婚から良き家族作りを希望し、子育てを始めたものでした。そして、子どもが九歳を過ぎた頃から働きに出たのですが、家には姑も健在でしたので農家ならまだしも、サラリーマン家庭に女性が二人も居ては窮屈だったのと合わせ、教育費の増大で働きに出ました。しかし、子どもからしたら下校時に祖母ではなく母に家に居て欲しかったと後に聴きますと、心が痛くなったものです。これは働き方にも問題があり、十数年前に聴いたのが、イタリアでは親の働く場所が家に近い程家庭環境はよく、地域も繁栄をするということでした。それから考えますと、自宅続きの美容室で、働く姿を見せた彼女は偉いなと思います。せめて、預かりものの子どもたちの成人する姿を又は一人前の姿を見届けて欲しかったです。しかし、彼女も神様からの預かりものです。彼女のカットは誰が見ても素敵で固定客が沢山いました。六人の子育てをしながら、働き通した姿は誰もが知っています。それにしても、早すぎる人生です。