台所から宇宙へ28

山からの風が、少しずつ冷たくなり出しました。そんな山向こうでは、陸自のヘリコプターの演習による往来音が今日はよく響きます。そして、明日の11月9日は陸上自衛隊の観閲式が関東で行われるとの事。この国の防衛のために、志を立て防衛にご尽力下さる方々へ感謝申し上げます。

「子どもは神様からの預かりもの」

思えば2022年1月31日の夕刻、夕食の用意をしている時の事です。ラジオのニュースから「小松空港より飛行機が、離陸後音信不通。」という速報が流れ、時間と共に報道内容が小松空港から小松基地へと、更に飛行機がF15戦闘機へと変わってゆき、床に就く頃には、事故の時間が仕事の帰宅時間帯に伴い、多くの情報がネット上に上がり始めました。大きな爆音や墜落時の閃光等の証言が連なりました。当時、折しもウクライナ問題で国内外が揺れている空気と重なり、日ごろ実感がない防衛と言う言葉が鮮明になったのを覚えています。人として、無事を祈らずにはおれませんでした。しかし、二名の隊員の方の帰還はならず、破損の機体とご遺体の引き上げのニュースへとなりました。そして、事故から一ヶ月後この小松基地を目にする事となっったのです。

2022年2月24日、夕食準備時に一通のLINEが入り、開封をすると学び舎の友の事故の知らせでした。台所の空気は一変し、身体が凍りつきやはり祈らずにはおれませんでした。しかし、翌日、死亡が確認され、葬儀へと北陸に向かいました。行きの高速道路では夜の為、小松空港も誘導灯が光る景色しか分かりませんでした。そして、友の顔を確認して死の現実を受け入れ、出棺を見送りました。式が終わると北陸の曇り空から太陽が顔を出して、まるで友の笑顔の様でした。見送り後、帰路の高速道路のICを走りはじめると、斎場のスイッチが入った頃でしょうか、山々の積雪に当たる太陽の光が増し、雪が輝き始めました。やがて走り続けるにつれて、友の存在も次第に遠くへとなるのを同行した者と共に確認をして、人の死は終わったとしても今の科学では表現しえない、意識エネルギーの存在の事を話しながら更に三時間後、違う形でこの意識の体験をしました。

そろそろ、先日の小松基地での事故現場に近づいてきたのではと思わされ、何か出来ることはないものかと思い、手持ちのお清めの塩を少しずつ撒きながらお祈りをしました。墜落現場を右手に見ながら北陸道小松ICの降り口が見えた時、雲一つない空は晴天なのに、突然巨峰ほどの大粒の雨が降り始めて、車の天井に穴が空くのではと思えるほどの音をたてて落ちてきました。思わず胸が熱くなり、隣の運転手と共に目頭が熱くなりました。やがて小松基地が見え、小松ICから高速道路に合流する地点で、ピタッと大粒の雨はやみ、何事も無かったかのように、やや西の空には眩しい程の太陽が照らしていました。この熱い涙は、きっとお二方の涙に間違いないと、同行者と共に確信を持ったのです。人は生きていても死んでいても、見えていても見えなくても、その方々の持ち得ている意識エネルギーとそのそれぞれの領域において、人間は意識交流がなされるという証が、この体験で更に深まっていきました。その二か月後、所用でこの北陸道を再び走り、この小松と友の住んでいた地域には、お三方の意識は感じませんでした。その後、友の意識エネルギー領域と小松でのお二方のエネルギー領域では、空間での明るさが違うので、師に質問をしました所、たとえ事故であっても「志」のある方の行かれるところはというか空間は違い、それはある意味保護されているようです。この事から学んだのは、生きてゆく上での「志」は人生を歩むうえでのキーワードでした。

では「志」とは、何でしょう。

この国では、14歳を迎える中学生の時期に、昔の元服の義に当たる立志式があります。ただ、今は全ての学校では、立志式は行われていないようです。親は神様から子どもを預かると、保護する義務があり、大人になる為のプロセスを共に歩みます。そのプロセスの一つに孔子曰く、「吾十有五にして学に志す」という言葉があります。立派な大人になる為に修養をし、自己確立への学びを続けるという覚悟を決めたそうです。自己のあるべき姿を昔の人は、自覚をして志を立てたのでした。この行いは、年齢に関係なく常に志をもって調和ある人生を歩み進むことを目指すとされています。

自身の十四歳を振り返りますと、親の姿を見てもっと幸せ家族を作るか、若しくはベトナム戦争時にて戦争の無い世界を作ると考えていた事を思い出します。今は家族を持ち、このことで戦争回避が出来ることを学びました。それが精神学です。日々の人間関係の中で、言葉一つをとっても使い方により戦いへのエネルギーを発生させることが分かり、生きてゆく意味がつかめるようになりました。国防と言う最前線で生きて下さるエネルギー総量より、一人一人の戦わないという意識発生総量の比率が増えれば、戦争のない世界は可能であるということになるでしょう。