台所から宇宙へ27

2024年10月最後の日曜日、この地域に来て初めての選挙投票へ行きました。徒歩で2Km程の所に投票会場の小学校がありました。何時も近所の子どもたちの登校する姿を見て、小学校へ一度は行ってみたかったので、興味しんしんで車を降り進みますと、なんと校庭の入り口には、懐かしい二宮尊徳の像が立っていました。若い方には馴染みが無いでしょうが、伝記には必ず登場をして、日本銀行券の一円札には肖像画として載っています。明治以降は、国家の政策論理に同調することで石材業者や石工らにより、全国の小学校に薪を背負い手には書物を広げた立ち姿の石像が普及されたそうです。その後時代と共に青銅制に変わり、大戦時には金属供出により姿を消す歴史を歩みましたが、ここの校庭には金属ではなさそうな姿で存続していました。この像は、時が経っている為かお顔が少し汚れており、何だか怒っておられるように見えました。何に怒っておられたのでしょう。

「子どもは 神様からの預かりもの」

二宮尊徳さんと言っても実は正直どんな事をされて、このような像が日本中に有ったかを知りませんでした。教育上、家の手伝いをしながら勉学に励むというイメージ位しか持っていませんでした。今回この方を調べてみますと、今の時代に最も必要な知恵の出し方を伝えているように思います。孟母三遷という言葉がありますが、子どもの教育上目標ごとに環境を選び、その中で経験を積み人生を生きる道と、もう一つ生まれた時からの環境により、その中で必然的経験により人生を生きる道と、人生は色々ですが、二宮尊徳さんの場合は、後者の様です。

天明7年(1787年)から安政3年(1856年)の江戸時代後期の、経世家、農政家、思想家と言われ、通称二宮金治郎と言い、号を尊徳(たかのり)と言うそうです。そして、生涯経世済民を目指し、報徳思想を唱え、農村復興政策(報徳仕法)を指導され、それは生家に始まり藩や幕府に至るまでの財政再建を行った方であるそうです。現在の神奈川県小田原市に生まれ、豊かであった家が徐々に散財を重ね、幼少期は富士山宝永大噴火の後の度重なる降雨による火山泥に悩まされ、田畑の荒廃に家族は苛まれていました。父の病気により12歳の時には、父の代わりに堤防工事の夫役を務めるも働きが足りないと憂い、夜は草鞋を作る。更に、14歳の時父を亡くすと朝は山へ薪を取りに夜は草鞋作りにと生計を立てることになる。その2年後母を亡くした上に、川の氾濫による水害に襲われ土地を一切流失した為、本家や親戚に身を寄せて身を粉にして働き夜は読書に励みます。その為、伯父より「燈油の無駄使い」と罵られると堤防にアブラナを植え菜種油をとり燈油とする。また、田植えの際にでる余った苗を用水堀に植えて米一俵を得るなど、努力をおしまず対策を講じる人でおられた様です。やがて、20歳になると生家の再興に着手し、それが成功すると次々と親戚や藩家老のお家再興までの依頼を受け着手し、名が知られるようになります。そして、小田原藩士の為の低利助貸法及び五常講を起こす有名な話など、一生を報徳仕法により藩から幕府までの財政再建に努められました。

ではその再建策の根幹とは、どの様な事でしょう。それは、報徳思想と言う経済学の様です。経済と道徳の融和を訴え、私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元されると説いた豊かに生きるための知恵の考え方です。その智恵とは、宇宙の根源的大極に沿った実践を行うという、常に天道に沿って生きる心構えで生きる。ではその天道に生きるという暮らしとは、誠を尽くすことで至誠の状態で日常生活の全ての選択を行う事。その結果、分度に至り、分度にして残った余剰を他へ譲るという、天道(道心)により至誠の心で実践すると勤労(行動)となり、その結果分度(無駄をせず、贅沢を慎む)に至り、分度して残った剰余を他に譲る(推譲)という仕組みです。この天道、至誠、分度、推譲の実践により、徳が徳により報われ、言語化できないものこそが報徳の教えであり、結果として物質的にも精神的にも豊かに暮らせるという学説を、人生で実行された方でした。

この方の人生を知り更に驚かされたのが、五常講の仕組みがこの国の歴史の中に存在していた事です。当時、藩の使用人や武士たちの生活救済において、集団による連帯保証を伴った金融制度で、今で言う信用組合が制度化されていたことです。それも担保は、儒学が定めた五つの徳(仁・義・礼・智・信)を守る事を条件とした道徳心が担保になるという金融制度です。これは日本人ならではの、所業のように思えます。そして、ドイツが信用組合を設立する400年前に、すでに日本にはこれが存在をし、更に凄いのは現代の不動産などが担保の時代から見たら、精神的価値が担保になる仕組みは、日本人の宝と言えますでしょう。

メモ:仁…慈しみ、思いやりを持つ

義…道理、人の行うべき道筋を考える

礼…礼儀をわきまえる

智…物事を理解する

信…人を信じ、人を欺かない

仕組み: 仁…多少余裕のある人がお金を差し出す(推譲)。

義と仁…借りた方は約束を守って正しく返済をする

礼…必要資金を推譲してもらったことに感謝し、恩義に報いる次                                             の策(智)を出す。貸す方も威張らない

信…無利息で迅速確実に返済を守る事に必要事項

 

現代の子どもたちに、二宮金治郎(尊徳)の事を訊ねてみますと、あまり知られていませんが、まさに今人として成長をしてゆく上で必要な事柄と考えます。成長期において、物資的な事に振り回され、精神的教育がなおざりになった結果が、現代ではないでしょうか。ニワトリが先か卵が先かの話になりますが、やはり背中を見せる大人の責任ではないでしょうか。もし、二宮金治郎さんが今の時代を見ておられたら、精神的困窮の現状に直ぐ動かれることでしょう。その自覚の無さの現代人に、もしかしたら怒っておられたのかもしれません。民の救済より、自分たちの利得に走る政治に、怒っておられたのかもしれません。