台所から宇宙へ24

山里の田んぼでは黄金色に色付きはじめ、あちらこちらで稲刈りが始まりました。そして、朝露が降りさつま芋の葉が黄色くなり始めますと、次は秋祭りの用意となります。早いもので、カエルの声から虫の声に変わり、それが落ち着くと満天の星が現れ季節はあっという間に廻ります。

今回は、「子どもは神様からの預かりもの」という、この国本来の子育てに立ちかえる「神子屋」のスタートに当たり、考えてみます。

ある五歳の少年から遊びに誘われました。発熱で幼稚園を休んでいましたが、回復の早い少年は手持無沙汰でした。たまたま、野菜の苗を届けに行ったところで、「シリトリ」に誘われたのです。日頃は、はにかみ屋さんでこちらから声をかけるとお母さんの後ろに隠れますが、今日は少年から透き通る目でのぞき込んで誘ってくれました。子どもは何と綺麗な目をしているのでしょう。二つ返事でシリトリはスタートしました。

暫くすると、シリトリは単語不足で間が開きはじめます。そこで、気分転換に外の畑に苗植えをしながらのゲームを提案すると、屋外大好き少年は快諾をしてくれて、即移動です。すると突然この水と土と転がっている野菜くずを混ぜると肥料が出来ると教えてくれます。カブト虫のいなくなった容器へすでに、水と土とさつま芋のくずが混ぜてあります。そして、「クルクル混ぜたらいいよ。」と、嬉しそうに教えてくれます。肥料という事をどこで知ったのかと尋ねると、絵本からだそうです。ここの家には、玄関を入りうちドアの向こうには小さな本立てに一杯本が詰まっています。そして、リビングから階段からいたるところに本が並んでいます。実は、この少年の兄は一時期引き籠りで不登校でした。時々気になり覗いていましたが、本が大好きな兄は朝から晩まで本に漫画に耽っていました。ですから、親御さんの配慮で家の中はちょっとした本屋さんと言ってもいい環境です。その中で、弟君の五歳の少年も本は大好きでした。

何時の頃からか、子どもの引き籠りという現象が現れましたが、振り返りますと我が長男も小学三年生の三学期に登校拒否が始まりました。朝になるとお腹が痛くなります。御仕舞いには心臓が痛くなり脂汗をかき、緊急搬送をしますが、検査を色々しても原因になる結果は出ずに、要観察で帰宅となりました。当時、子育てにおいて三世代同居では箸の上げ下ろしから、十七時には家族揃い食卓を囲むという暗黙の約束があり、遊びに夢中で帰宅が遅れると祖父母の厳しい言葉がありました。その為家では規律や約束には厳しかったこともあり、長男は学校にその規範を持ち込むことにより、整列やズルをする同級生に注意をすると摩擦が起き始め、教室での居場所がなくなり出し、身体にシグナルが出てやがて休校するというプロセスを踏みました。解決策を模索した当時は、毎日担任との連絡と時には来訪により会話に会話を重ねますが、家庭持ちの女性担任もサラリーマン化した中で板挟みだったことをよく覚えています。それでも当時は、話し合いの末に三月の終了式頃には登校が出来ました。

実はつい先日、あるお母さんから最近は、欠席連絡はアプリで行うとのことを聞きました。そして、連絡帳も放課後に近所の子供さんが届ける風景も無くなったとの事でした。なんとも殺伐とした話に、聞いていたもののこれはもう教育現場も末期と実感しました。そこには、“人として”と言う言葉の余地はなく、冷たい未来空間が頭を過りました。振り返れば、戦前生まれの世代と戦後生まれの世代が、のこの国の隠れた歴史の凝縮された問題点が、当時の当家庭内での出来事であったと今は回想します。

また、二十年程前にイタリアにいる日本人事業家から、日本から引き籠りの青年たちを預かり、経営している農園を社会復帰の実践場としていることを聞き、視察に行ったことがありました。引きこもりとは思えない青年たちが出迎えて下さり、広いオリーブとぶどう農園、また観光客のイタリア案内などでの仕事をしていました。更に、滞在中は、刑を終え出所する予定の方と共に農作業もしました。社会復帰の場として、刑務所とも連携をしており、地域では有名でした。日本でも五十年以上前は、刑期中でも社会復帰のステップとして、受刑者を受け入れる企業があり、まだ社会との分断の兆しはありませんでした。そして帰国につくとき、その事業家から、自国の問題を国外に出さずに、これからはこのような事が増えるであろうから、自国で対策を早く作るべきと言われ、この言葉が印象的でした。それは、当時イタリアなどに行けるのはほんの一部の青年です。事実、大企業のお子息やご息女が親戚や周りの目から逃げるために、国外へと言う流れだったからです。但し、この引き籠りという根本原因は国外へ行ったとしても一時的なもので解決をしない事柄です。つまり、事業家が言われた意味は、戦後の歴史、経済、教育、家庭という複雑な経緯によっての結果な為、国の在り方から政治までを組み立てなおさないといけないレベルであると当時解釈をしました。それでも、まだ国内に戻ればそのような問題はベールに覆われており、二十年遅れの危機感が今は現実として、危機に変わっています。

さて、少年宅の庭に出て、玉ねぎの苗植えが始まりました。何処に植えたらいいのか、探検が始まります。丁度、帰宅した兄を誘いましたが、ゲームに逃げられました。

「ねえ、苗にどこに植えて欲しいか、聞いてみたら。」と、提案をしました。

暫く、歩いてみて「玄関のほうかな。」「カーポートのほうかなあ。」

「なんか、苗がみんなに見てもらいたいみたい。」・・・などの会話から、玄関周りの土壌に決定です。小さな穴を作ると、そこへ小さな手で玉ねぎの苗球を埋めていきます。ダンゴムシ大好き少年は、手先が器用に苗を穴にはめていきます。途中、肥料の草を掛けながら、栄養話しが大好きなママのおっぱい話に花が咲いたり、賑やかな笑い声が響きます。そこへ、下校の高学年が通り「お帰りなさい。」というと、頭を擡げた喉からまことに暗い返事が返ってきました。ああ、悲しいかなです。

終盤は雨がポツリ・・・ポツリ・・・と降り出し、「お空にもうちょっと待って下さいとお願いをしてみては。」と話すと、素直に目をつぶって何か彼なりに言います。そして、最後の苗が植え終わると、ポツリ、ポツリ、ポツリ、と待っていたかのように、雨は降り出しました。そして、ふと気が付くと二階の窓から兄がこちらを見ているのです。「そうそう、お兄ちゃんは現場監督に向ているわ。現場は、監督も必要ね。」と言いながら、今度は、「玉ねぎに、雨を下さい。」と、みんなでお願いしました。

そして先ほど、五歳児君のお母さんから、「一番、癒されたのはわたし本人です。」と、連絡を下さしました。何時も思うのですが、本当は子供に問題があるのではなく、その親、更にその親とドミノみたいに連鎖をして、現代表層に現れているのではと言えないでしょうか。それは、戦争から経済成長へと生きる課題がすり替えられて、本来の何故人間として生き存在をしているかの思考が抜けている為と考えます。

小さい子どもは、自分が親を選んで生まれてきたことや何をするために生まれたか等、良く知っています。そして素直に、自然に神様と対話しています。それが大きくなるにつれ消えて、成長と共に自分探しが始まります。その時、無駄な人生の時間を消費しないために、昔のように子どもは預かりものとして接すると本来の人間の本質は芽生え、能力の開花は早いのではないかと考えます。その為にも学校ではできない教育を、「神子屋」で始めたいと考えます。