菌の世界がある種の電気的エネルギーを有していることや、人体も東洋医学的に経略には気が流れているという事を知り始めた頃、自身のヘルニアで整体の先生から「後頭部に気が溜まり、詰まっているけど、悩みが多すぎるのでは。」と言われました。この事から、体の中の気と言うものを理解するにあたり、日本語には「気」という言葉を使った表現が沢山ある事を知りました。人に関係するだけでも、気力・気分・気功・気合・気丈・気質・根気・短気・弱気・本気・気管・気胸・病気・元気・呼気・吸気・・・と、まだまだあります。この気と言うものが、自分の体の中に滞るとは、気の中に思考した色々な悩みを含む事であると実感しました。つまり、意識らしきものが詰まっているという事にたどり着きました。この気に含まれる意識が、もしかして家族にも影響をしているかもしれないという事を、台所の中で学んでゆきました。
毎日料理を作る折、何を考えたり何を思ったりして作りますでしょう。無心に何も考えず、何も思わず作るのでしょうか。多分、ほとんどの方は分量とか、手順とかを考えながら作ることでしょう。当時、早く家事を済ませて自分の時間を作りたいなどと思いながら、子どもの学校関係や仕事関係のことを頭の隙間にはめ込みながら、お料理を作業にしていた気がします。また、両親の言葉には出さない味の不満を感じながら、子ども事で悩みがあると気分が優れずストレス倍増です。仕事での失敗時は気弱になり、お給料が上がれば元気になりと、沢山の事で気と言うものが登場します。どちらかというと、この気は人間の生命力や気分、意思、場の雰囲気など総じて精神面などに関してよく用いられますが、この気分や気持ち、意思は身体の中を巡り、消化されなければ巡った先が子供への怒りとして放出をし、仕事で気を病むと痛みや症状として体内へ変換されます。この気の流れの大きな姿として見せてくれているのが、自然界の大気の動きではないでしょうか。大気が凝縮されると雲になり、雲が雨になり、大気が流動すれば風になり、膨大なエネルギーが放出されると雷になります。その大自然の大気と連動するのが人間の呼吸へと繋がり、体内を循環しその先の精神面へと流動してゆくようです。医学書の裏表紙の言葉を借りれば、マクロコスモスでもありミクロコスモスとも相似形で表現される世界です。また、この気は物にも宿るとされ、仏像や遺品などが良い例でしょう。
考えや思ったことが体を巡り、怒りや気分の変換物は、次の行き先へ宿るという事になるようです。その行き先が子供や自分自身だけでなく、料理へとも辿りつくことになるのです。いくら良い食材や調味料を用意しても、自分の気分や心や思考の状態がその物へ宿るとなると事は重大です。台所へ立つ主婦の気分や心の状態が、料理に宿るという事で、それを食した家族の身体はどのようになるのかと考えると、言葉が出なかった事を思い出します。家族が同じものを食しても、健康、不健康になるにはそれなりの理由があるという事です。勿論、家族一人一人の免疫力や思考の癖も大きく影響をするでしょう。特に免疫力を獲得するさなかの中にいる子供の方が、影響を受けやすいでしょう。やがて、最後は自分自身にも巡ってくるという、法則に気づくのです。それが分かるまでは、医療費を使い、食材探しに時を費やしました。
不思議なもので、台所はお料理を作るだけと思っていた時からしましたら、農業、医学、物理、生物学など幅広い情報の中で作りあげる世界であると知ると、なんだか色々な知識や学びを得る場所が台所と思えるようになりました。人生勉強の場は、台所に有り!でした…。