人生の中での出会い10

西暦2000年問題と騒がれた時期を境に、人生も第二弾の大変動が起きました。それは、サラリーマン生活からの離脱です。日々当たり前に生活をしていた環境へ、更に新しい感覚の掴めない不安に遭遇しました。衣食住はとりあえず持ち得ていても、将来に対する不安です。子供のころより困難はどうにかなっていたので、高を括っていたのですが、子どもの頃とは違う何とも言えない不安が取り巻きました。それは、人生の折り返し時期とも重なり、人生のタイムテーブルを考えるようになったことです。「人は何で生まれ、何をして、何処へ行くのか」のテーマに向き合う事に明確に遭遇したのです。このテーマを考える環境としては、サラリーマン生活から離れても、取りあえず衣食住の中の「食」が安定をしていれば大丈夫と考え、二反の米作りと五畝の畑で通いの自然農を始めました。

当時、変わり者が田舎に来たと言われたのと、留守のとき畑に起きていたJA事件がありました。ある日のこと、イタリアントマトの畑に入ると「見られた」という単語が頭に入ってきました。初めての経験にて、何の事かも分からずそのまま過ごしていましたところ、夕方JAの方が現れ「留守の時に、本当に自然農で作物が出来るか見学させてもらったよ。で、トマトを一個失敬したよ。」と言われ、ビックリです。その頃、そのJAの方は肥料の高騰で上司からの宿題をもらい、色々情報収集をして歩いていることが判明。まさかトマトが教えてくれるなど思いもよらず、昔の人はこんな風にして、植物と会話をしていたのだと、改めて汲み取れないこちらの未熟さに、トマトへお詫びをしました。

また、変わり者を受け入れてくださった村の長老の背中を見て教えて頂いたのは、毎朝夕、二輪カブで山や谷の田んぼの見回りをしてから食事をいただくとのこと。それは朝夕見ていれば、どんな小さなことでも分かり、対処できるとのことでした。また、空を見ればその時の天気の状態で、どう行動するか決まるそうです。裏山に入れば、次の世代を見越して山の手入れをする。その為の道普請をする。取れた作物は加工をする等々、まさに、農は百種の職業に値する百姓なのだと教えて頂きました。

その長老曰く、「子どもの頃、村一番の貧乏家に生まれ、4歳から家業の米作りをしてすでに60回以上も米を作っているが、毎年が初回だよ。小学校もそこそこ行っていないから、米作りがわしの道かな。」としみじみと言われました。曲がったことは大嫌いな方なので、村の若い者には煙たがられますが、人生を考えるうえでは大きな道標でした。そして、長老への一番の感謝は、「近隣の意見に振舞わされずに、自分の思っている自然農をやってみなさい。」と言ってくださった事です。これにより、違う意味での自信と安心感が伴い進めれたのでした。

同じくして、この時期に隣村の自然農の先輩より、手前味噌作りを習いました。この先輩は口数少なく、ただ見ているだけの方でした。蒸した米にこうじ菌をつけるにあたり、「今、どんな気持ちか、どんなことを考えてつけてますか。」と質問をされ、当たり前のように「美味しい味噌ができますようにです。」と答えたものでした。しかし、何も言われず、微笑み返しで工程は進みました。その後、この微笑み返しに囚われその意味を考えながら農作業が増え、人間との関わり方の事柄も増し、人生のテーマを考えることが遠のき始めました。

自給自足の方向性は良かったようですが、これまた家族や考え方の相違から次の事柄が発生します。自分の人生もさることながら、親世代の老いと並走して現実は進みます。生きてゆく肉体の部分と、理想を生み出す思考や心とのバランスの課題が押し寄せてきたのです。