ご神木に出会ったのは、精神学協会に入った翌年に十人程の会員さんと九州の幣立宮へ参拝をしたときの事でした。子育ても終盤に入っていた事もあり、人生について考える時期でしたので、答探しの入り口におりました。子供の頃から好奇心旺盛な性格の為、学校の勉強よりも色々な出来事の原因や仕組みが知りたく今日に至っており、自分は変わった人生だったと回想します。
協会へ入る動機は、健康器具製造販売をしていた社長さんから言われたひと言でした。電子設計の技師であった社長が、当時フウチと言うもので器具の設計をしており、発明協会とも連携しながら製造をしていました。東北という地域柄、社屋には私の知らない神様を沢山祭っており、「あなた、神様業界の事を何も知らないのね。」といわれたひと言に恥ずかしさより、知らない事へのショックが大きかったのです。その後、神様の名前をキーワードにネット検索をしていましたら、出来立てのゴッドブレインに行きつき2年程サイトを開いたり、閉じたりしながら見ていました。しかし、さっぱり分からず決意して、協会主催の会長に会ってから更に勉強をするかを決める為、大阪へ出向きました。この意を決するには、今までの体験が邪魔をしておりました。それは、神様という言葉が大きな壁になっており、神様と名前が付くだけでも宗教ということばに連鎖をする時代でもありました。その宗教に関する体験は、嫁ぎ先の信仰宗教を継いで欲しいという姑の言葉と、勤務先の医療機関へ宗教での相談や会話が多かった事、更にこの医療機関の院長がアサハラと同郷の為オウム事件の折、資金源と当時まだ認知の薄い「気」について従業員含め事情聴取みたいなことを経験したため、本能的にアレルギーになっていたからです。しかし、どこかで神の仕組みを知りたいという願望がくすぶっていたことは確かで、2年間ゴッドブレインのサイトを見続けていたのです。
経済成長の空気が漂う大阪のビル街の中に、レトロな佇まいの建物の一階に協会の文字を見つけました。当時、入口のSEKIギャラリーではジェネシスという増浦行仁氏のイエス様の写真が並んでおり、ガラス越しに見たギャラリーの空間とキリストの十字架の写真とに身体は反応をして、思わずこの神聖な世界を自分は求めていたのだと実感しました。ことばでは表現ができない「美」を自分は求めていたと自覚した瞬間でした。そして、精神学を学ぶ決意をして入会をしたのでした。 しかし、積会長にお会いできたのは翌年でした。会長曰く、「時が来ないと会えないんだよ。」という言葉に、妙に「時」という言葉が暫く頭に残っていました。そして、そのお会いできた時期は、主人が早期退職をしたため、これからの経済はどうなるのかという事と、このままの経済の状態で良いのかという疑問を持っていた時、「光の経済」を考えるセミナーが開催される事となり、初めてお会いできたのが自分の人生を出発した東京という地でした。