「ああ、それなら、教官や訓練データを用意する研究員に先入観を与えないように、ってことで、MOTHERによって暗号化されてたはずだよ?」答えたのはたまたま近くを通りがかったε(イプシロン)だった。「というか、これについては与えられた選定基準をもとに、MOTHERが遺伝子情報バンクから無作為抽出(ランダムサンプリング)したって話」
「「「へー」」」
近くにいた他のアンドロイドたちもεの答えに相づちを打つ。
「でも、ブラックボックスっていつ解除されるのさ?」
「僕たちの訓練と性能評価が終わった時だってさ。確か、十五人の役員と政府関係者が別々に解錠符号を持たされてて、それが全部そろわないといけないらしい。しかもそれも日時が指定されていて、それ以降でないと符号は表示されないんだって。無理に分解したらデータが二重にランダム符号化された上で上書き抹消されるらしいよ」
「げぇっ、厳重だねー」
「厳重すぎる気もするけど……技術情報の盗用を防ぐには複数人で監視させ合うのって、一番原始的で効果的な手段よねー……」
「それで? そのブラックボックスが開放されると?」
「うん。一番成績のよかった上位個体が数モデル選ばれて、量産段階に入るらしい」
じゃあ、ゼム曰く、面倒くさがりで雑な自分は絶対に選出されないな。μ(ミュウ)は密かにそう確信した。MOTHERのランダムサンプリングの選出基準は、ちょっとバグがあるのかもしれない。
εは、そこでこちらを見つめて微笑んだ。
「μは、自分のソウルコードが気になるかい?」
「え? ……ああ」
聞かれるとは思わず、一瞬虚を突かれたものの。μは目をそらして、別に、と呟いた。
「……ただ、私たちの親みたいな、ソウルコードの提供者と、私たちの違いって何なんだろう、って思っただけ」
「哲学的な問いだな。だが根源的だ」
εは大真面目な顔で頷いた。
「双子の話がある。全く同じ遺伝子の持ち主でも、顔つきや体つきが年を経て少しずつ違っていくように、ソウルコードは個々にして異なっていくという話だ。僕たちもそれと同じで、どんなに同じソウルコードを持っていても、それが書き換わるタイミングが元の持ち主と同じとは限らない。極論を言ってしまえば、ホワイトコードと呼ばれるぐらいの珍しいソウルコードなら、発火するかしないかだって時の運だろう。――つまり、僕たちはその時点で、同じ元から生じたけれど、違う存在になったといえるんだと思う」
「ε、すげー……」
「普通、そこまで考えないって」
「あれ、そうかな? えへへ……」
頬を掻いているεを、じっと見上げる。
「……そっか」
μは頷いた。そして、目を細めた。
――違う存在になってしまっても、コードが同じなら、この胸に去来する感情は同じなのだろうか?
εの言うことは分かる。でも、何かが違う気がした。
「……MOTHERなら、この気持ちが分かるのかな……」
λ(ラムダ)と一緒に昼のエネルギー補給を行い(といっても日光ルームで昼寝をするだけなのだが)、模擬戦訓練をいくつかこなして、その日のルーチンは終了する。
λはTYPEが連番になっていることもあり、すっかりμの姉役を気取っている。ちゃんと明日の予習をしておくように、との念押しに、別れ際、μはため息交じりに応と返した。
μはぼんやりととりとめのない考えごとをしながら、訓練施設内を移動した。施設は大きく分厚い円柱の上に、平たい円錐を伏せたような形をしている。ぐるりと内縁部に沿うようにらせん階段が巡り、その先は円錐の天辺――セントラルルームへつながっていた。
施設内への採光窓にもなっているガラス張りの天井越しには、ちらちらと夜空に星が瞬いている。わずかな光を感じながら、セントラルルームの中央に座っている女性型のアンドロイドに近づいた。
「MOTHER、いい夜ですね」
話しかけながら近づくと、銀糸のような長い人工頭髪を揺らし、彼女――戦略演算システム、MOTHERは振り向いた。伏せられていた瞼の下から覗いたのは、眩く白い煌めきを宿した、宝石のような瞳。無機質に造り込まれた造形美に、μは知らず息を止める。セントラルルームに足下を繋がれ、莫大なリソースを提供されながら、星の行く末、文明の未来、あらゆる問題を計算する演算能力を有する、文明の落とし子だ。
体の下を流れる巨大なエネルギーの奔流ゆえに、わずかに淡い光を放つMOTHERは、うっすらと微笑んでμを迎えた。
「僕たちの訓練と性能評価が終わった時だってさ。確か、十五人の役員と政府関係者が別々に解錠符号を持たされてて、それが全部そろわないといけないらしい。しかもそれも日時が指定されていて、それ以降でないと符号は表示されないんだって。無理に分解したらデータが二重にランダム符号化された上で上書き抹消されるらしいよ」
「げぇっ、厳重だねー」
「厳重すぎる気もするけど……技術情報の盗用を防ぐには複数人で監視させ合うのって、一番原始的で効果的な手段よねー……」
「それで? そのブラックボックスが開放されると?」
「うん。一番成績のよかった上位個体が数モデル選ばれて、量産段階に入るらしい」
じゃあ、ゼム曰く、面倒くさがりで雑な自分は絶対に選出されないな。μ(ミュウ)は密かにそう確信した。MOTHERのランダムサンプリングの選出基準は、ちょっとバグがあるのかもしれない。
εは、そこでこちらを見つめて微笑んだ。
「μは、自分のソウルコードが気になるかい?」
「え? ……ああ」
聞かれるとは思わず、一瞬虚を突かれたものの。μは目をそらして、別に、と呟いた。
「……ただ、私たちの親みたいな、ソウルコードの提供者と、私たちの違いって何なんだろう、って思っただけ」
「哲学的な問いだな。だが根源的だ」
εは大真面目な顔で頷いた。
「双子の話がある。全く同じ遺伝子の持ち主でも、顔つきや体つきが年を経て少しずつ違っていくように、ソウルコードは個々にして異なっていくという話だ。僕たちもそれと同じで、どんなに同じソウルコードを持っていても、それが書き換わるタイミングが元の持ち主と同じとは限らない。極論を言ってしまえば、ホワイトコードと呼ばれるぐらいの珍しいソウルコードなら、発火するかしないかだって時の運だろう。――つまり、僕たちはその時点で、同じ元から生じたけれど、違う存在になったといえるんだと思う」
「ε、すげー……」
「普通、そこまで考えないって」
「あれ、そうかな? えへへ……」
頬を掻いているεを、じっと見上げる。
「……そっか」
μは頷いた。そして、目を細めた。
――違う存在になってしまっても、コードが同じなら、この胸に去来する感情は同じなのだろうか?
εの言うことは分かる。でも、何かが違う気がした。
「……MOTHERなら、この気持ちが分かるのかな……」
λ(ラムダ)と一緒に昼のエネルギー補給を行い(といっても日光ルームで昼寝をするだけなのだが)、模擬戦訓練をいくつかこなして、その日のルーチンは終了する。
λはTYPEが連番になっていることもあり、すっかりμの姉役を気取っている。ちゃんと明日の予習をしておくように、との念押しに、別れ際、μはため息交じりに応と返した。
μはぼんやりととりとめのない考えごとをしながら、訓練施設内を移動した。施設は大きく分厚い円柱の上に、平たい円錐を伏せたような形をしている。ぐるりと内縁部に沿うようにらせん階段が巡り、その先は円錐の天辺――セントラルルームへつながっていた。
施設内への採光窓にもなっているガラス張りの天井越しには、ちらちらと夜空に星が瞬いている。わずかな光を感じながら、セントラルルームの中央に座っている女性型のアンドロイドに近づいた。
「MOTHER、いい夜ですね」
話しかけながら近づくと、銀糸のような長い人工頭髪を揺らし、彼女――戦略演算システム、MOTHERは振り向いた。伏せられていた瞼の下から覗いたのは、眩く白い煌めきを宿した、宝石のような瞳。無機質に造り込まれた造形美に、μは知らず息を止める。セントラルルームに足下を繋がれ、莫大なリソースを提供されながら、星の行く末、文明の未来、あらゆる問題を計算する演算能力を有する、文明の落とし子だ。
体の下を流れる巨大なエネルギーの奔流ゆえに、わずかに淡い光を放つMOTHERは、うっすらと微笑んでμを迎えた。