Vol13:遠くに行ってみたい

 
 今まで何とも思わずに更新作業や修正プログラムの適用を受けてきたが、この男の適当な即興コードがいったいいくらそこに混じっていたのか。後生なので品質チェック部隊の仕事は確かなものであって欲しいと願うばかりである。仲間たちのために。
「ところで僕、お腹すいたなあ。何か作ってくれない? 女の子にご飯作ってもらうの、一回やってみたかったんだ」
「……」
新しく追加されたデータの中に、家政婦ロボからコピーしてきたとしか思えない料理レシピ集が入っていたのは気のせいではなかったようだ。
 思い切り白い目で眺めたあと、μ(ミュウ)はキッチンに立つことにした。

 
 

 
 
「久しぶりだ、誰かとこうしてゆっくり食事を摂るなんて」
 皿の上の料理を機嫌よくつつきながら、エメレオははにかんだ。ワインもたっぷり飲んだ後なので、顔はほのかに紅潮している。
「……良かったですね」
 μは口の中にパンの欠片を押し込んだ。
 食物からのエネルギー摂取は、できなくはない。本来は人類とのコミュニケーション手段として実装されたが、せっかくなので有効活用しよう、というどこかの鬼才の提案で、バイオ燃料に変換されて普段のエネルギー活動の足しにされている。ちなみに、戦闘モードの駆動にはまた別のエネルギー系統が使われているので、本当に生活用である。
「ねぇμ」
 壁掛けに映った夜景に目をやりながら、エメレオはぽつりと呟いた。
「アンドロイドとして生まれてきて、君は夢を見ることができたかい?」
「夢、ですか?」
 エメレオの言葉の意味が分からず、μは首を傾げた。
 夢。
 人類が見るもの。視覚的な電気信号、知っているものをもとに作り出され想起される、見たことのないイメージ、幻想の姿。寝ても覚めても、人が抱き続けるもの。希望、または野望、欲望のこと。
 そういう知識が頭脳には格納されているけれども、μは実際には、夢がどんなものかは知らない。そんな感覚を知る教育訓練なんて、製造されてからこの方、与えられたことなどないのだから。
 そう伝えると、エメレオは苦笑する。
「確かにそうだね。夢を見るなんてのんびりしたテストは、確認項目の中には入っていないよね。でも理論的には、アンドロイドの思考や情報整理の機構には人間の頭脳と同じようなパターンを組み込んであるから、アンドロイドも夢を――希望や願いを持つはずなんだ。人間と同じように、寝ている間に不可思議なイメージだって抱くこともあるだろう」
 寝ている間のイメージ、と言われて、はた、とμは思い当たった。
「……スリープモードの時に出てきたあの映像は、もしかすると夢ですか?」
スリープモード時にインプットされる内容にしては、荒唐無稽な舞台設定だと思ったのだ。
「え? 夢を見たの? もしかして寝ている間に夢を見たのかい? どんな夢?」
「炎に包まれた都市の中に立つ、巨大な人型の兵器です」
 告げると、自らが開発したアンドロイドの挙動に浮かれていたエメレオの顔からは、見る間に表情が抜け落ちた。
「ヴァーチン博士?」
「……」
 エメレオは傍らのワイングラスを取って、じっと深紅の水面を眺めた。何か思索にふけっているようだと、μは彼が口を開くのを待った。
「君たち、各国の兵器の情報はどれくらいインプットされている?」
「一通りは――」
「なら、最近この国と同盟国の間で共同開発されている、超大型兵器のことも? α-TX3のナンバリングに聞き覚えは?」
「……いいえ」
 慎重に尋ねる様子に、何か自分に得体の知れないことが起きているのか、とμは緊張する。
「なるほどねぇ……そうか、そういうこともあり得るのか。貴重なデータだな」
「博士?」
「ううん、こっちの話だ、大丈夫」
 エメレオは一気にワインを呷った。
「うん、それは、きっと夢だね。アンドロイドもスリープ中に夢を見れるんだね。いいことを聞いた。でも僕が聞きたかったのは、将来の夢とか、そういう意味合いの夢だな」
「将来の夢……」
「戦闘型アンドロイドも、戦争でもない限りは普段の生活を送ることになるだろう? そういう時にやってみたいこととか、あるかい?」

「……そうですね」
 μは考えた。
「知識としてたくさん情報はありますが、実際に見て、どんなものか知っておきたい景色が、それなりにあります」
「……もしかしてそれ、軍事的な動きに備えてとか、言わないよね? 綺麗な景色が見たいんだよね?」
「え?」
「……うーん、もうちょっと色気のある反応がほしいな……」
 消化不良のような表情でぼやくエメレオに、μは再度、考え直した。
「――遠くに行ってみたい、です」
 ぽろりと、言葉が出た。