Vol.85:五章-6

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 その頃――世界の各所では、混沌(カオス)騒乱(パニック)が生じようとしていた。
 急ぎ主要都市に駆けつけたサリアたち白騎士団(ホワイトコード)を待ち受けていたのは、機械AIたちによる凄惨な殺戮のパレードと、逃げ惑う人々で溢れ混乱する市街地だった。
 見下ろした範囲だけでも、車が人間を路上で挽きつぶし、生活補助のためのアンドロイドが隣にいた老人の手足を引き千切っている。芝生整備のロボットが自前のカッターで蹴倒した人間の腹をずたずたに裂き殺していた。犯罪抑止のための警備猟犬(パトロールドッグ)までもが、安全性をはるかに超えた強さのスタンガンで次々と感電による死者を生み出し続けている。
 文字通り、阿鼻叫喚の地獄が地上に出現していた。
「! 何てこと……!」
「クソっ、マザーの言ったとおりか! ウイルス、しかも自己増殖型だ! 仲間をどんどん増やしてやがる!」

「どうする! どうやって止める!?」
「こんなことが世界各地で起こっているんだったら、物量的に対応なんて無理だぞ! こっちは十万しかいないんだ!」
「…………ハッキングしなおしましょう」
「何……?」
 こちらを人間と勘違いして向かってきたマネキンドールを破壊したあと、サリアは仲間を見据えた。
「あなた、覚えていらっしゃらないのね? ――私たちも一瞬、あのウイルスに感染していた。だけど、そのすぐあとにマザーが浸食されきる前にご自身と全機をハッキングして制御を取り返してくれたから、どうともなかったのよ」
「! なら――」
「半分でいい。止めるための勢力を作るの。目には目を、歯には歯を。ウイルスにはウイルスです!」
「実現可能な案が出てきたが――荷が重いことだ! 演算しながら自分の身も守らなきゃならないんだからな!」
 騎士たちは合点が行くと、すぐに演算の出力を上げた。
「さすがにマザーほどのテラエンジンは持っていないが――全員気張れ! 世界の半分でも取り戻すぞ!」
 たった一体、世界に降臨した悪魔が引き起こした未曾有の危機に、サリアは唇を噛みしめた。
 問題は、何がどこまで及んでいるか――。
 町の管理や軍の監視システムに乗り込み、広域の状況データを収集・整理する。
 世界中、繋がっている仲間と密に情報を交換し、精査を進めていくうちに、サリアは気づいた。
「……軍事施設。兵器の周りのセキュリティがまずい――!」
 軍は特に暴走すれば危険なAIが多数配備されている場所だ。
 他の白騎士(ホワイトコード)からウイルスの解析情報を知り、さらに呻く。
「駄目! もう市街地は諦めて! 軍事施設、特に大量破壊兵器の攻撃目標地点をばらけさせて! あいつら、マザーを本気で殺す気です! 全ての兵器の到達地点(エンドポイント)になったりなんかしたら、いくらマザーでもひとたまりもありませんわ!」
 血の海が深くなっていく様子から無理矢理目を逸らし、サリアたちは空を飛んだ。
(進行が早すぎる……間に合わない! マザー! 逃げて……! 逃げてください!)
 
 
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 空を飛んでいく、見たことのないアンドロイドたちを、彼は窓からしげしげと眺めていた。
 突然、世界同時多発的に起こった非常事態に、国としての機能は完全に麻痺していた。どんな宣言も出せず、政府として何を成すこともできぬまま、という未曾有の危機。
 外では発狂した警護アンドロイドたちに人間の方が応戦しているが、いつまで持つことやら、と。閉じ込められ、あとは棺となるばかりの執務室で、こんなことが起こる日がくるとはなぁ、と、少し苦い顔をした。
「――結局、君の言うとおりになったな。エメレオ。先にうまいこと死にやがって。おまえが少しうらやましいよ」
 シンカナウス連合国大統領――トール・アカシーは、友のことを思い、そう呟いた。
「ブラックボックスが解除されるのは、世界が終わる日。白き神の予言は当たったわけだ。……どこまでが、彼の女神の想定だったのやら」
 ブラックボックスを開示させよう、という長官らの妙な動きを放置したのは、どうやったとしても、この日は前後することがないだろう、というエメレオの発言を信じていたからだ。自分のこの行動まで、全て織り込み済みだったのか――それとも全ては、ただ一点に収束するのか。
 椅子に腰掛け、机の上に放り出してあったデータを眺める。それは、先ほど開示されたブラックボックスのデータだ。逃げ出したアンドロイドは一体いかなる特性を示すのか、という脅威度判定のために取り寄せたものだったが――。
「TYPE:μ(ミュウ)の人格データの拠出元まで、まさか空白(ヌル)だったとは恐れ入るよ。MOTHERは神の(デコイ)にして実験機(パイロット)。本命と始原(オリジン)にするのは〝あちら〟だったというわけだ。あの深謀遠慮、生まれ変われたとして、神だけは敵に回したくないものだね」
 その時、扉が前触れなく破られ、破片が室内に飛び散った。人間の血飛沫が混じった土煙の向こうに、慣れ親しんだ警護アンドロイドの顔がある。
 トールは椅子に腰掛けたまま、わずかに微笑んだ。
 次の瞬間、執務室に銃声が響き渡る。
 大統領府に、生きている者は誰もいなくなった。