Vol.72:三章-10

 ――結局、こうしてしまうのだ。
 心に白く炎が燃える。それに呼応するように、白くプラズマの発光が起きるほどに、エンジンの出力が上がっていく。
 音速を超える速度で彗星さながらに鉄くずを引き連れ、視界に入る機兵たちを見境なしに次々に宙から叩き落としながら、μ(ミュウ)は思った。
 今この瞬間だけは、限りなく自由に近い場所にいる。破壊と、自身の消失と隣り合わせの戦場だが、μは誰の意思でもなく戦っていた。
 異常を察したのか、次々と機兵は本隊の方へと逃げていく。μはひとしきり追い払ったことに満足すると、ふと、自分を見上げている人間がいることに気がついた。
 
「――リーゼ」

 
 施設(ホーム)が爆撃されたというのに。生きていたのか。何という幸運だったのだろう、と女性技師を見下ろすと、彼女の栗色の瞳と目が合った。――その瞳は、恐怖に揺れていた。
 一時、思考に空白が生じる。だが次の瞬間には、無理もないな、と思い直してしまっていた。
(私の意図など、読めるはずもない)
 常にない、当たり散らすような戦い方をした自覚はある。施設(ホーム)の惨劇を見ていたのなら、こちらが何かを知って暴走した可能性さえ思い当たっただろう。
 実際、暴走、いや、野放し状態ではある。今の状態では、誰もμに命令できないのだ。MOTHERは自身に対する命令権をμにまでは引き継がなかった。
 μは今、誰に命令されたわけでもなく、子供を自分の意思で助けた。
 この白い思いが、揺らがぬ光が胸にある限り。誰に強制されずとも、μは、μのままだ。その確信はすとんと胸に降り、確かな自覚になって根を下ろした。
(……そうだ。そうなんだ)
 自分に与えられたのは、ホワイトコード。正義と勇気の、神が定めた白き刻印。
 遅かった。遅すぎた。分かるまでに、こんなに時間がかかって、何もかもが壊れてしまった。失わなければ、アンドロイドとしての存在意義に縛られて、決して気づかず、手に入りはしなかった。けれどようやく自分は手に入れたのだ。自分だけの、決して譲れぬ境界線を。
(私を、最後まで、私にするもの。これが、私の魂)
 人間が光を求めた末に、エメレオが生まれ、作り上げ、祝福した命。
 ――ああ、だから、この起動符牒(キックコード)だったのだ。
 μは目を閉じた。
(――私は、今この瞬間(とき)から。一機のアンドロイドではなく、ひとつの魂になろう。もう、TYPE:MOTHERに書き換えられてしまったけど……TYPE:μから、『ミュウ』になろう)
 叛逆の時だ。もう、アンドロイドだからと、縛られることはやめにしよう。
 まだ、自分はここで生きていたい。だから、使おう。
 エメレオ・ヴァーチンが最期に遺した、最高傑作の完成。その仕上げに、手をかけよう。
 ミュウは口を開いた。
 
 
「――〝私はこの叛逆をもって、私の完全性を証明する〟」
 
 
 ――起動符牒(キックコード)を受諾。機能制限を解除。
 ――テラエンジンの限界開放。出力を一.五テラワートスから十テラワートスへ上昇。
 ――エーテル領域との接続帯域を開放。演算フィールドを再拡張します。
 
 告知と共に、ミュウの認識範囲に、突然広大な情報空間が接続された。まるで、今まで目隠しをされていたのが取り払われて、何もかもよく見えるようになったかのような開放感と全能感が魂を満たした。
 思っていた変化をあまりに超える大きな落差にぎょっとしつつ、ミュウは自分の『意識』の領域を、おそるおそる、自分を中心に半径数メートル範囲にまで広がった『何か』の場――演算フィールドにまで展開する。
 そのフィールドに接した外側から、どこまでも広がる、海や空をはるかに超えた、宇宙のような茫漠たる世界。そこに大量に満ちた、意思に溢れ、生命として息づく情報のるつぼ。
 試しに演算能力の検証をすると、MOTHERの全出力を優に超える性能を出せるだろう、と分かり、ミュウは少し呆然とする。
 
 システム〝エーテル〟。
 
 宇宙を満たし、媒介する情報次元空間につけられた名前。それが、エメレオがミュウに贈ったシステムの名前だった。
 
(稼働状況、特に異常なし。では、まずは、さしあたり――)
 ミュウは未だに白く、いや、今まで以上に強く、オーロラ様に光っていた自分の体に気づき、エンジンの出力を落とした。
 
(――自分の状態の把握も必要だ。立て直すために、ちょっと潜ろう……)
 
 やっと応戦に戻ってきた第三艦隊の姿が、海側の空に見えている。そちらをちらりと一瞥(いちべつ)してから、ミュウはその場を飛び去った。
 
 
 
 ――そして、それ以後。市街地を蹂躙するα-TX3たちの前に突如現れ、ほとんどの機体を叩き落として回ったという、凄まじい戦闘能力を見せたアンドロイドの消息は(よう)として知れなくなり。
 次に世界が彼女の姿を観測するまでには、実に七日の時を必要としたのである。