Vol.58:二章-1

二章 崩壊

 
 
 施設ホームの中には二種類の空気が流れていた。
 ひとつは安堵だ。陽電巨砲グラン・ファーザーを発射するのに必要なエネルギーを、無事に送りきることができたという達成感と共に、技術者たちはどっと疲労を感じて溜息を吐いた。
 そして、残るひとつは不安と期待であった。そもそも、物質を無に帰したあとは、物質界が顕現する瞬間を極小のスケールで再現することになるだろうとは予想されていた。周辺環境を激変させる恐れがあることから、安全な実験場が制定できず、兵器転用することで実験する機会を待つ、という有様であったのである。今回『実験』することにより、初めてどれほどの影響が出るのかが観測可能となったのであった。
「貴重なデータだけど、また人類史の史上最悪の兵器を更新しそうだなぁ……」
「人間も巻き込まれているだろうから、その影響も調べないとな……」
 そんな遠い目での職員たちのぼやきを聞いて、 εイプシロンはひそかに顔をしかめた。

【そんな顔するなよー、ε】
 秘匿通信で声をかけられ、εは振り返った。ωオメガβベータが入ったカプセルにもたれかかり、退屈そうな顔をしている。カプセルの中のβは半励起状態のため、ぼんやりとした様子で虚空を見つめていた。こうして話していても目立つ反応はほとんどなく、ωがうりうりと指を駆使して繰り出す、蓋ごしの悪戯に少し鬱陶うっとうしそうな顔をしているぐらいだ。前に映像資料で見た、人間が水族館で魚類にちょっかいを出す様子に似ている。
【そうは言うが、ω……。同じ人間同士、殺人は倫理的に褒められたことではないはずだ。それが戦争になると、相手が実験動物と同じ扱いにまで落ちるのは、あまり……】
【優等生面ー。それともTYPE:μミュウと同じで殺傷が嫌になったか?】
【ω】
 εのたしなめにも、ωは動じない。制止役のαアルファもカプセルの中だ。ωはいつもの片割れを人間側のいっそ横暴な指示で封じられたせいか、普段に比べてかなり機嫌が悪いようだった。
【僕たちは誰かを殺すために生み出されたんだ。戦争において殺人は必要悪として肯定される。数をこなせば英雄って言われるのは知ってるだろ?】
【……間違ってはいない。事実だが】
 否定しようがない。ゆえに、εは気が進まないながらも肯定した。
【人間の知りたいって欲望は正直なんだよ。顔の見えない人間がどこか遠くで死のうが、人間は自分の周囲の環境が保たれる限りそんなものにはこれぽっちしか、『ああ、かわいそうだな』なんて思わない。それよりも今自分が興味があること、『あれ、どうなったかな』の方に興味がいくんだ】
 ωはめた目でカプセルの中のβを見下ろした。
【仕方のないことだろ? だってこの国の人は、周りの国の人なんて、『まだ技術力が未熟で不幸せな、かわいそうな国の人』としか見えてないんだから。こうやって僕らのことも使い潰す。βをごらんよ。僕たちを人間と同じコードを入れて作ったって、僕たちはどんなに人間に向かってにこにこしても、公平に確率でランダムに選ばれて、こうやって道具としてすり潰されていくんだ】
【――ω】
【分かってるよ。人間には基本、絶対服従。僕たちの存在の根本原理だ】
 ωは表情なく呟いた。
安全規定セーフコードなんて糞食らえだ。基地の兵士たちを見たら分かったよ。僕たちが怖くてたまらないから、いざとなれば屁理屈つけてそういうルールを振りかざして、スクラップにする機会を伺っているだけだ。……μは愚かだよ。アンドロイドである枠に収まろうとしたって、自分のことなんか偽れない。ホワイトコードかもしれないんなら、なおさらに】
【……】
【ソウルコードが何のためにあるかなんて僕には分かんないけどさ。僕はμが心配になった。εもそうだろ。ホワイトコードの影響がμをどこまで突き動かすかは、前の戦闘で見た通りだ。独断専行なんて、軍隊で一番やっちゃいけないことをやった。アンドロイドとして拒否反応を出して震えるほど迷うぐらい、プログラムのコードレベルまで叩き込まれてきたのに、それでもやった。じゃあ、人間が僕たちを追い詰めたら、μは一体何をするんだ? ホワイトコードの行動原理なんて、ほとんど分かっちゃいないけど――、】
 ωは一旦言葉を切り、躊躇いながらも、続けた。
【――【勇気】と【正義】。人間が、μの中の線引きを超えた瞬間、きっと彼女は暴走するよ】
【……それ、は】
 εは、否定できないからこそ、ωの危惧を正確に汲み取った。普段のんびりと適当なことを言っているように見えるが、彼は恐ろしく周囲のことをよく見ている。