Vol.57:一章-11

 返ってきたデータの内容を確認する。
『生物学の研究は現在過疎化が進んだ分野であり、十分に議論が尽くされて枯れた技術も多い。人員が少ないゆえに貴重な知識も多く得ていたと思われるが、彼女にいち早く目をつけたのはウォルター・バレットだった……』
 以降、生体工学等への応用といった議題を通して、彼らには親交があったようだ。
 制御体作成マザー・パイロット計画以前からあった高度知能を有したアンドロイドの活用方針については、ヴァーチン博士派とバレット博士派で大きく方針が割れていた、とある。
(あの男、そんなに博士と揉めていたのか……)
 μミュウは前に他のアンドロイドたちが漏らしていた話を思い出し、半眼になった。
 ――ヴァーチンの特殊な開発思想についていけないという理由で、リーデルはバレットに深く傾倒していったらしい。それと共に、バレット側にも彼女に異様な執着があったようだと、他の職員から聞いたこともMOTHERは書き留めていた。

 その後、バレット博士は開発中だったヴァーチン博士の候補機への不正アクセスに失敗したことが露見し、逮捕されようとしたが、寸前にエントへ亡命。事件のあと、MOTHERの制御体は無事に施設ホームのセントラルルームに設置され、オペレーターアンドロイドとしての人格プログラムもインストールされた。
『そこから数ヶ月後、リーデル・セフィアは姿を消している。前後の状況から推察するに、バレットの亡命後の協力条件として、エントによる組織的な拉致に遭った可能性が考えられるが、証拠に乏しく、断定はできない』
(……要するに……私たちが製造される前に姿を消した研究者で……だけど、MOTHERの計画が終わって、制御体が設置された頃までは施設にいた……?)
 μはじりじりとした焦燥感を覚えながら、頭上を見上げた。
 派閥のことはμにはよく分からないが、中心人物を失い解体された勢力が、そのまま放置されていたとも思えない。計画が進んでいたとして、それにリーデルは大なり小なり携わったはず。この場所のことは? MOTHERのことを、どこまで知っている?
 ドリウスにその情報が渡っていたとして――彼は何をしにくる?
 μは背筋がじわじわと冷えていくのを感じた。
 陽電巨砲グラン・ファーザーのエネルギーチャージは最大まで溜まった。戦艦の射線上からの転移による退却準備も済ませた。転移認可システムに移動先の座標登録も済んでいる。あとはテレポートをするだけだ。
 作戦は想定と違う部分はあれど、進行している。そのはずだ。なのに、寒気が止まらない。
 μの凍る心とは裏腹に、現場での時間は進行していく。
 頭を振ると、μは口を開いた。
『――オーギル海上空で作戦遂行中の全軍に通達。陽電巨砲グラン・ファーザーによる崩壊砲撃を六百秒後に開始する。目標座標への発射までに、ただちに当該空域から離脱せよ。転移のできない艦は座標からできる限り離れ、シールドを最大出力で展開。余波による衝撃に備えよ。繰り返す――』
 次々と、μが認識しているマップの上から、友軍を示す光が空間転移によって消えていく。マップの上にどす黒く巨大な射線が染みだし、世界に焼き付いたように知覚された。
 
 そして、その時はきた。
 
『刻限に達しました。グラン・ファーザー、〝崩壊実験〟を開始します』
 
 近海の望遠カメラからの映像を監視していたμは、その時、港町の方向から、音もなく黒い何かが雷撃のように鋭く飛んだのを目撃した。
 
 
 *
 
 
 ――ぞわりと。その場にいた者たち全員の背筋に、悪寒が走り抜けたことだろう。
 水平線に見える陸地から迅雷のごとく走った、光なき莫大なエネルギー。黒い玉のようにも見えるそれが通ったあとには、文字通り海が割れ、大陸棚が線上にえぐれた形で露出した。
 だが、それは不気味な予兆でしかないのだと、見る者はすぐに気づいた。
 見えていたはずの光景がすぐに見えなくなった。純黒のトンネルのような空間が突然その場に出現した。
 本物の黒体。否、中に飛び込んだとして、反射する「もの」さえ失った――電磁波の電子も、たとえ光の粒子でさえも、なきものとして消失させ、重力場すら飲み込む本物の『絶対真空』。
 中に入り覗き込むことさえ許されない、『無』という緊張状態を維持する巨大なエネルギー場。しかし、出力が弱まると同時に、緊張は破れ――三秒後には世界を白く染め上げた。
 それは、強制的に無に返された状態からの再物質化による超爆発だ。大量に現れたプラズマ、物質として結ばれ再発生した膨大なガスが空間を満たし、周囲を押しのけ、放射状に放たれた轟圧が場をかき乱して烈風と大きな津波を引き起こした。超高圧高温のエネルギーが乱舞し、太陽の炎のように長々と青白く燃え続け、やがて小さな無数の塵を残して、炎は消えていった。
 
 グラン・ファーザーによる崩壊砲撃。α-TX3の破壊光線を超えて、物質を無に帰す形での、シンカナウスからエントへの返礼であり、報復であり、最大限の牽制であった。
 
 射線の先に設定されていた、エントがα-TX3を引き揚げていた場所は、跡形もない。
 巻き込まれた揚陸艦は、この世から素粒子レベルで消失した。運よく難を逃れた他の艦船や機兵は、烈風に煽られ破裂・飛散していった。
 
 北方から迫り来ていた軍勢にも、同じように報復は果たされたはずだった。
 
 そうして、港町・一個艦隊の喪失と、先遣部隊の全滅という痛み分けの結果を残し、シンカナウス・エントの戦争は双方にとってひとつの区切りを迎えた――、
 
 ――ように、見えた。