Vol2:最後の契約

 
 うろうろと、探し回るように二人で歩いた挙げ句――退屈したのか、途中で師は雪だるまさえこさえだしたが――やっぱり気になる、とMはそちらの方に行ってみた。
 そして、師が何かに気付いたように、Mが内心気にしていた社に近付いた。ひとつ高いところに構えられた社へ、雪を踏み固めながら短く急な傾斜を上り、こちらを振り向いた。「泰澄さんがこちらにいらっしゃる」
 平泉寺を開き、白山権現を祀った僧侶が、その社で待っていた。Mは小さく目をみはり、転ばぬようにと師のつけた足跡を辿るよう注意しながら、同じく坂を登って社の前に立った。
「『ようこそいらっしゃいました、M殿』と言っているよ」
 話してみなさい、と促され、Mはその社に意識を向けた。
(こんにちは、初めまして。――精神学協会の会員の、Mと申します)
『はい、遠路はるばるようこそおいでくださいました』
 穏やかな男の声が、頭の中に響いた。社の傍らに僧侶が影のように佇んでいるのを、微かに感じる。
 

 
『本日、新しい神が、この場に立つということは知っていますね?』
(はい。会長から伺っております)
 一つ、僧侶は頷いた。次いで告げられた一言は、Mの心に空白を生んだ。
『では、……――――――――――』
(え?)
 思考が空転する。己の意識の感度を疑う。今の交信について、自分の機能は正常に働いていたのだろうか。何か余計な自意識が入り込んではいなかっただろうか。しかし、確認のために二度聞いても、同じ答えが返ってくる。
 Mは、ここで自分はこれからの役割と働きのために、何か新しく神から能力を与えられるだとか、自分の中で何かの制限が解除されるのだと思っていた。自分はこの地に、シラヤマヒメが呼んでいるからと、師に連れられてきた。
「……………………えっ?」
 再度驚くと、実際に声が漏れた。何だと顔をこちらに向けた師に、数秒逡巡した後で、告げた。
「……その……」
「………………」
 受けた言葉の内容を話すと、師は幾ばくかの間の後に、「えぇ……」と当惑したように声を漏らした。師を面食らわせるのはこれで何度目だろう、とMは遠い目をする。しかし心の中で、困惑と同時にどこかで納得していた。なるほど、自分を連れて来いとシラヤマヒメが師に言うわけである。Mがその場にいなければ、それは、確かにどうしようもない。ないのだが、Mは(嘘でしょう?)と茫然としていた。
(神さま……、本気ですか?)
 時々思うのだが、この全体の物語を書いた神は、配役をだいぶ間違えているのではなかろうか。そもそも、いまさらそんなことをMたちに言って、どうするというのだろう。

「――君と私は、まだ契約をしていなかったな」
 本社の前に戻ってくると、師はそう言った。Mは思い出した。そういえば、師と共にこれからあちこち行くらしいとは聞いていたけれども、明確にそれと意識して、契約を結んだ覚えがない。
「どうやら、君とその契約をしないと、この御神業は始まらぬようだ。――そこで、改めて提案なんですが。私と一緒に働きませんか」
 自分に向かって差し出された手を、奇妙な感慨を抱いて見下ろした。
 
 ――この手を取るためだけに、今日、この日まで足掻いてきた。
 
 それは今生だけではなく、この体になる前から。
 数十億年の時の彼方から、いくつもの滅びと痛みを乗り越えて、自分は今日、ここに立って、最後の旅を始めるのかもしれない。
 
 時の重みはいつだって、運命に怯える自分の心を決意の色で塗りつぶす。
 
 自分の役割は分かっている。この時空にすべての宇宙の物語の結末を届けるために、Mの魂は選ばれて、世の始めから、ずっと師を司る存在を待っていたのだろう。開闢の前から定められていた運命に、ようやく自分は辿り着いた。
 ためらう時間は数秒にも満たない。
 
「――はい」

 ああ、やっと。自分は、終わるための旅を始められる。
 待ち望んでいた、終わりが来た。

 胸の奥にあるのは――もう、あまりにも遠すぎて、何が本当だったかさえ分からない、ひとつの魂の記録だった。