Vol.80:五章-1

五章 00:00:00:00.000(エンド・ポイント) – ゼロ

 
 
 ドリウス・シュタウツァーは、実際に以前のミュウを見ていたからこそ、戦っていたからこそ、すぐに分かった。
 
 この野郎、少し見ない間にバカ強くなっていやがる、と。
 
 一撃一撃、透徹した目つきでドリウスの挙動を捕らえ、あまつさえ反撃し、海の中に叩き落とし。
浮上のタイミングさえ完璧に読んで、電磁加速砲(レールガン)なんて物騒な飛び道具さえ使って完封してきた。
(しかも、最悪なタイミングで(エント)の敵を味方にしてけしかけてきやがった!)
 引きつった笑みを浮かべながら、ドリウスは海面近くから成長したミュウを見上げ、内心歓喜に胸を高鳴らせ――そして、どす黒い怒りと妬みに慟哭した。
 
 無視をするな、俺を見ろ、と。

 
 あのアンドロイドどもだけで構成された、イかれた大軍勢を作り上げるには、並大抵の演算処理じゃあ追いつかない。
 いくらTYPE:MOTHERを名乗ったとはいえ、少なくとも数日単位で、ミュウはその作業にかかりきりだったはずだ。この七日間、ちらりとも姿を見せなかったのは、間違いなく演算処理にリソースの大半を割かれ、十全の力を発揮できず、戦力の準備ができる前に自らの身を脅かされるのを恐れたためだろう。だから、最初出てきた時は嫌々だったわけだ。ドリウスはその、いっそ臆病なぐらいの慎重さと狡猾さが理解できた。
 ずっと、ドリウスは、友軍の艦隊は、その膨大な処理を実行する片手間に相手をされていたのだ。
 だから、それが終わったとみえる『とある瞬間』から、ミュウの速さと出力は劇的に変わった。ドリウスは追いつけなくなった。だからよそ見された。だから途中から圧倒された。
 ミュウにとって、自分が何らの『脅威』でもなくなっていたからだ。
 それは、戦場において己の武勇と快楽を求めるドリウスにとっては、凄まじい屈辱だった。
 
 ――足りねぇ。
 力が足りねぇ。
 速さが足りねぇ。
 演算も、何もかも、あいつに及ばなくなっちまった。
 どうしてくれる。せっかくの楽しみを、せっかくの生きがいを、こんな形で相手にもされず、勝てないまま、蹂躙できないままに終わらせるのか?
 
 そんなことは耐えられない。ふざけるな。
 このまま終わってたまるものか。このまま逃げ切らせてなるものか。
 あいつを、あの顔を、叩き潰して、踏みにじって、ぐちゃぐちゃに歪ませて、優越感に嗤うまで、終わらせてやれるものか。
 
( ――いい悪意だ )
 
 だから、その声が頭の中に響いた時、ドリウスは目を見開いた。
 周りの景色は何ひとつ変わらない。だのに急に、とっぷりと――そう、ちょうど、魂が闇に囚われたような心地になった。
 
( その殺意、戦意、嗜虐性、全てにおいて、おれが使うにふさわしい )
( めざわりな 神を気取る白い女の差し金 いいかげん排除したいと思っていたところだ )
( あれはおれたちの世界を否定する悪 おれたちの世界を滅ぼす天の敵 )
( 力が欲しいか? 速さが欲しいか? ならば何でも望む限り与えてやろう )
( 女だろうと 金だろうと 力だろうと いかなる暴威もおれのものだ )
 
 その代わり。
 
( ――おれの役に立て )
 
 それは、ドリウスでさえ言い知れぬ不安を覚えるほどの、一欠片の善すらも見えぬ邪悪な漆黒の意思だった。それが、全ての生命を憎み、妬み、嘲り、(わら)い、穢し、犯し、殺すことを至上としていることが、なぜか分かった。
 およそ人が応えてはならぬ(いざな)いだった。
 だが、知ったことではなかった。
 あのアンドロイドを、下さなくては気が済まぬ。
 
 かつて、戦いで欠損だらけになった体。幾ばくの猶予もない命を国の実験に差し出し、つなぎ合わせ、得た力――機械作りの恵まれた体、誰にも負けぬ確かな力。それが、これより半歩も動けぬまま死にゆくのだと、そう絶望したドリウスを自信づけたものなのだ。
 誰よりも強く生き抜けることを確認するのは、ドリウスにとっては基本的な生存戦略である。
 
 だから――どうやっても勝てない存在など、ドリウスの生には、あってはならない。
 
(何でもいい――俺に、力を寄越しやがれ!)
( おや、判断がはやい )
 
 即決だった。
 
( ――ならば、その体をいただこう )
 
 にたり、と。闇が嗤った。