28.武とは

 アエラスじいちゃんが爺さんと手合わせした話を聞いたフォティアは、

「それじゃ、じいちゃんのお爺さんのほうが体力も筋力も技のレベルもずっと上だったてこと?」

と聞くと、じいちゃんは、

「いや、そうではない。筋力、体力などは断然わしのほうが上だがな、全く次元が違うんじゃ。フォティアにはまだ難しい話だがな。ただ、そのときはどうしてこんなに爺さんとの武術の質が違うのか分からんかった。このときわしは初めて爺さんがとても遠い存在であることを思い知らされたのじゃ。」

と言うと、フォティアは、

「でも、今はじいちゃんは分かっているんでしょ!」

と返した。じいちゃんは、続けて話した。

「そうじゃな...、まだ爺さんの域には達しておらんかもしれんが、じいちゃんなりに分かったことはあるがのう。それは、武術とは相手に勝つことが目的ではないということじゃ。わしが爺さんに降参した後、ずっと考え続けた。爺さんと勝負したあの一瞬のことを。自分の技はもちろん自分自信の内面もな。そして、武術とは何なのか。それで気がついたのじゃ、自信に満ち溢れていたわしは爺さんと相対したときは何がなんでも爺さんを納得させてやると心の中では殺気だっていたことを。それに対して爺さんはわしが近づき当身を加えようとしたとき全く攻撃心や威圧的感覚が無かったのじゃ。むしろ優しさのような愛のようなものが伝わってきてのう。その時、爺さんがとても大きく、そして一瞬光を放っておったように見えた。それを感じた段階でわしは闘争心が全く無くなってしまった。」

フォティアは、

「どういうことか、僕にはわからないや。」

と言うと、

「フォティア、それがわかれば達人じゃよ。いいかフォティア、今はわからんでええ。でもなこれだけは覚えておきなさい。若き頃のわしのやっておったのは殺人術であって武術ではない。武術は武を極めるための一つの手段でしかない。そして、武術を極めていくということは、行き着く先は自分との戦いなのじゃ。自分の中の闇とのな。自分の中にある誤った思いや欲などすべて消し去り改めねばならん。そんなものをもって人間がぶつかりあえば憎しみ合い殺し合いになるだけじゃ。正しく武術を通して武を学ぶものは精神性を高められ、そこには争いは無い。決して武術だけがそういったものであるわけではない。どんなことも深く考えていけば必ずそこに行き着く。正しく思考し極めれば、じゃがな。ただ、武術は相手と肉体的な接触や目には見えぬ意識の駆け引きなどがある。相手は自分の思うようには動いてはくれん。相手をどうにかしてやろうなどと思うこと、それ自体がすでに道から外れておるのじゃ。そして武術を通じて相手と勝負するということは瞬時に自分自身の愚かさを知ることができる。普段気が付かぬような自分の中にある闇の思いが顕著に露出するからのう。ある段階まではだがな。結果、未熟であれば勝負に負け、場合によっては肉体的苦痛を被る。しかし、逆に相手を抑えたり技や術がかかったことで勝負に勝って一喜一憂するようではもっと駄目じゃがな。その結果から自分を見つめ直し正すことが大切なのじゃ。ただ、それだけの違いじゃ。」

と、アエラスじいちゃんは話した。フォティアは、

「まだよくわからないな?」

と聞くと、じいちゃんは、

「分かり難かったかのう。そうじゃな...武を志す者同士がお互いの精神性向上のために勝負したり稽古で切磋琢磨するために武術を使用するのであればいいがな、その目的と関係なく単に相手を懲らしめたり暴力的なことに使用することは間違いなのじゃ。お互いが正しい目的のために相対した結果、傷を負ったり、痛い目にあうのはそれはそれでええ。痛みを被る方も未熟だが、痛みを与えてしまった側も未熟と言うことじゃな。未熟とは、己の中に不純な改めなくてはならぬ思いがあるということだ。人それぞれ考え方はいろいろあるだろうがのう、これが爺さんから受け取った武じゃ。もしかしたら、わしみたいに武術に頼らねば精神性が上げられないもの、あるいは争いを通じてでないと己の愚かさが分からぬような人間は野蛮で低次元な存在なのかもしれんのう。」

と話すと、フォティアは、

「なんとなく、分かってきたよ。武術を通じて自分を正すってことだね。」

と納得していた。じいちゃんは、続けて話した。

「ん、そうじゃな。もし爺さんみたいに武を極めた人間と相対した場合は戦わずとも勝負はついてしまう。若かった時のわしは爺さんと勝負しようにもわしが未熟すぎて同じ土俵に立っておらんかったのじゃ。次元の高い武を極めた者は、戦わずして相手の中の闇を無力化するのじゃろうな、きっと。」

フォティアは少し感動して、

「だから、じいちゃんは攻撃できなかったんだ!」

と言うと、じいちゃんは、

「フォティアよ、お前も武術を通じて自分で考えて体感するがええ。頭で考えただけではわからんもんじゃよ。わしが教えたことを会得しただけでもまだまだ入口に入っただけだ。若かりし頃の愚かなわしみたいなものじゃ。自分の身体と会話し心と会話していけば、いずれわかるときがくるじゃろうて。」

と応えた。その日は珍しくフォティアはアエラスじいちゃんと遅くまで話をしたのだった。フォティアが帰るとき、すでに外は夜になっていた。

 その後も毎日フォティアはアエラスじいちゃんの元で農作業をしながら武術を学び、そして青年へと成長していったのである。