(瞑想教室 高田弘子さんと私)

1993年、

高田弘子さん主宰の瞑想教室で、私は少しずつ自分を取り戻していった。仕事から離れる決断、子供たちと向き合うことを最優先とする決意。かわいらしい時期の幼子、一方で仕事との両立に憔悴していた私。

恋愛の末の結婚だが、会社経営する夫は忙しすぎて、共働きの私とはで心まですれ違っていた。思うようにならない相手の言動につらくなる日々、一見幸せそうな家族も心は冷たく青ざめていた。瞑想教室に通い、何とか息をつないで来られた。そのような生活が8年ほど過ぎたころ、大どんでん返しのような出来事が起こる。2001年、夫の商売は行き詰まり、会社倒産、現実的に過酷な時期に突入した。しかしそんな時、明るく前向きな気持ちを持ち続けられたのは、高田弘子さんとの出会いがあったからだと、今もその頃のことを夫と話すことがある。経済的に苦しい毎日だったが、家族だんらんがあり、心は以前より触れ合うようになる。小さな家に引っ越したが、ささやかな楽しみとしてキャンプなどにも行き、豊かな時間を過ごさせてもらったと当時を温かな気持ちで振り返る。心が離れていた時は幾度も離婚を考えたが、三人の子供が成長し自立していく姿を見るにつけ、あの時離婚せずに来たお蔭で今があるなあ、と夫婦でしみじみと話する。瞑想の音楽を聴きながら、私の子宮の中で手や足を延ばしていた娘は、もう三十歳になる。

瞑想教室に通う一方、高田さん主催の<子育て教室>を手伝ったり、NPO法人<共生の郷こすもす>の活動に参加するなど活動の場を広げると、家庭や仕事の悩みはあっても少しずつ少しずつ自然や和を尊ぶひとの心に目を向けるようになった、青空のような広い視点に気付かされていったのだ。(瞑想)に出会っていなければ、高田弘子さんに出会えていなければ、人生にイフはないが、どんな人生が待っていただろう。感謝の気持ちでいっぱいになる。