光への送り

再び高田さんの夢の中。岩の間に光るキラキラした波がみえる。心地よい風と太陽の光がまぶしい。すると、金色の船が浮かび上がり女神と男神がスポットライトを浴びてゆっくりと天に向かって登っていく。次は子供のペア、小さな背中を向けて天に登っていく。今度は二羽の白い鳥。まばゆい光の中で背を向けて天に・・・順番を待って次々と天に向かって上がっていく。すべて亡くなった人々や動物たちだったのだろうか。1996年7月。高田弘子さんは、ここはどこですかと夢の中で問う。「神島」と応えがあった。目が覚めて地図を広げると、伊勢湾伊良湖岬の海上4キロメートルあたりに、確かに神島は存在した。八代神社、綿津見命、祭神。神島への旅をするという高田さんに、まだ小さかった三人のわが子と実母とともに同行した私。その社で見た大きな絵馬は、高田さんのゆめのなかに出てきた男女を乗せた船だった。光の玉のメッセージ、元気になりゆく子供たちの夢、そして天に向かって登っていくたましいの送り。生の営み、亡くなっていく様を、高田さんの体験を通して私は深く理解した。

弥勒様とともに、命の書に登録することを後押しする高田弘子さん。私の直近の体験をお話ししよう。初めの説明が上手くなかった。私はある親類の息子さんに命の書に登録することを勧めた。私の従妹であるが、その死を直前に息子さんから相談を受けたとき、命の書に登録することを勧めたところ、強く拒否され、私の苦悩の時間が始まった。苦痛に満ちた顔でベッドに横たわる従妹、その息子さんに対して、お母さんの体も心も軽くなるよう、光の道に乗り、やすらかな旅立ちとなることを伝え、命の書に登録することを勧めたのだが、身内の死を意識し始めたとき深い悲しみの中にいるときに、タイミングと伝える方法、信頼関係がまだできていない関係で脅しにさえ聞こえてパニックになる、私は学んだ。『削除してください』従妹のむすこと、認知症初期の夫からの要望が電話で伝えられた。私は即座に、登録はやめるね、安心してねと応じる。その後、本当に登録することがこの人たちにとって良いことだろうか、図らずも噓をついてしまうことになる、私の言動は、本当に良いといえるか。私の父は私が思春期の頃に、「お前は正直で一円のお金もごまかすことのない、まっすぐな精神と意思を持っていると、私を信頼していた。母がギャンブル依存症に陥り借金による生活苦で父親の気持ちも疲弊していたころのことだ。苦しい中でもまっすぐに成長できたのは両親のおかげと思っているが、あの父の言葉を思うとき、人のことを裏切って強引に命の書に登録しようとしているのではと、強い罪悪感が生まれる。もっと時間をかけて、焦らずゆっくり理解してもらえるように話すことが大事ではないかと思い悩んだ。光の道筋に従妹の魂が導かれるようにしてあげたい、しかし削除してくださいと言ってきた息子さんの今の気持ちを裏切ることにもなる。それは本当に50%50%のせめぎあいだった。 従妹とは10歳以上離れ、子供の頃、ぬいぐるみをもらったり遊んでもらったり、きれいなお姉さんという憧れの存在でもあった。その従妹に対する思いと息子さんへの思いは拮抗し、長い時間が流れ、本当に思い悩んだ。どちらを選択することが私にとって楽だろう。発達障害を持っている息子さん、認知症を発症している従妹の夫。すでに意識のない従妹の状態。誠実に向き合ってその人の心を大事にしたい、そうだ、やはり一旦中断してもらおう。高田さんに電話をした。高田さんは弥勒様のお力添えとともに光の門に至る道を案内するため登録を中継していたので、御断りの電話をしたのだ。受話器を切った後、ほっと安堵した。自分の決断に癒された。しかしそれはつかの間の事、やがて、さっきよりも苦しい闇の力のようなものに押しつぶされそうになることを実感する。私の中で苦しみは限界になり、高田さんへの電話をふたたびしようか、迷う。ふと履歴に高田さんの着信がある。思わず電話すると、自分の迷いを話すが、一向にすっきりすることなどない。自分で決めるしかないのだ。高田さんは間違ってかけてしまったと言って、私の方も揺れる心をそのままに、重い心を引きずって電話を切る。納得するまで待ってという私の言葉が、むなしい。次の瞬間、私は電話をかけなおしていた。高田さん、やはり登録をお願いします。私の弱さを克服して一歩前に進める私の強さを試されていると思った、強い自分を確認した長い一日だった。電話で登録を再決断した後は、光がさして、私は明るい上昇気流の中に上っていくのを感じた。これでよい。本当にこれでよかった。後日、従妹の息子さんから、点滴だけで生きながらえているが、時間の問題だと思うが、不思議なことにこれまでと違ってとても穏やかな顔をしている、苦しんでいないようなんですと、報告がある。ようこ、ありがとう。といとこの声が聞こえたような気がしている。