今までの地球 その四. 参戦と敗戦
第一次世界大戦後の日本は、アメリカで長くに渡って熟考され練り上げられたオレンジ計画と 、ABCD 包囲網という戦略的嫌がらせによって、当時主要なエネルギーになっていた石油の輸入を断たれ、生き残るためには大東亜戦争に突入せざるを得なくなりました。そして、1941 年 12月 8 日、日本人の売国奴に真珠湾を攻撃させることで、日本は参戦することになります。しかし、この攻撃自体が、アメリカ人の民意を参戦へと導くために、イギリスのチャーチル首相とアメリカのルーズベルト大統領が画策したものでした(まあ、この方々だけではなく、主たる歴史には出てこない、この策略に参加した多くの人間の存在があったのでしょうが、、、)。
そんなことを露とも知らない純朴な多くの日本人は、新聞の扇動記事に踊らされながら、「お国のため」を合言葉に一生懸命戦いました。そして「もうこれ以上戦っても勝ち目はない。」と降伏宣言しようとした矢先に、アメリカによって二発の原子力爆弾をご神体である日本列島に落とされます。日本は、一般人の無差別大虐殺という、国際法上では戦争犯罪とされている行為の被害者になった上、戦争にも負けてしまったのです。ここで忘れてならないのは、日本国を護ったのは、昭和天皇陛下という一人の人間のご存在であった、ということです。その当時の日本にとって、皇統とは、一国の存在意義を左右するほどの大きな意味を持つものであったという事実を、私たちは忘れてはいけないと思います。天皇陛下のご存在が無ければ、アメリカによる、戦後日本の占領統治方法は、違ったものとなっていたことでしょう。
連合軍に敗退した日本は、その後七年間アメリカの統治下に入り、GHQ の策略のもと、すっかり骨抜きにされてしまいました。たった七年間で、それまで日本人が培ってきたものをズタズタに引き裂かれてしまったのです。心根の優しい日本人を自分達の言いなりになる様操るのは、さぞや簡単なことだったであろう、と推察します。邪悪な民族に相対する場合には、相手の邪悪さをきちんと学び、理解しておく必要があります。「いい人」だけでは、この邪悪な世界は渡っていけません。詐欺師のいい鴨になるだけです。
だからこそ、日本人がいい人であり続けたいのであれば、相手の邪悪さを知り、その邪悪さに負けない強さを持った上で、いい人であり続けなくてはいけないのです。