今までの地球 その八. 本物の先生
私は中学生の時、とても素敵な先生に出会いました。そして、その先生の社会科の授業を一年間だけ受講しました。今の義務教育では、ノルマに従い「いついつまでにここまで教える」ことに追われています。しかし、その先生はその方針に逆らい、一度だけでしたが、とても印象に残る授業をしてくださいました。確か、邪馬台国がどの地域にあったのか、二者択一ではありましたが、授業中に生徒達に考えさせ、何故そう思うのか、議論を戦わせる機会を設けてくださったのです。その授業で2コマほど費やしたため、私たちのクラスの授業は他のクラスより遅れてしまい、他の先生方からの評判が悪かったことを覚えています。けれども、その先生は、本来学校で行われるべき授業を行なって下さったのだと思います。
また、その先生は、生徒が長期休みの課題などでいい作品を提出すると、とても喜んで褒めてくださいました。その先生が評価するのは「テストの点数」ではありませんでした。
私は、先生から褒められるのがあまり好きではありませんでした。それは多くの場合、先生が生徒を褒める場合に「自分の教え方がよかったから、この生徒はここまで伸びたのだ。」という先生の奢りのようなものを感じてしまうことが多かったからです。この先生は、私が褒められて素直に嬉しいと思える、数少ない先生のお一人でした。
多くの教師が生徒を評価するために用いるのは、テストの点数であり、偏差値です。いい点数をとるためには、一つの決まった答えを導き出せる能力を伸ばすことが大切で、数学など一部の科目を除いたら、多くの場合、暗記力がある人間が能力が高い人間、ということになります。ですが、本当にそれでいいのでしょうか?
いくら学校の成績が悪かったとしても、この現代社会の中で、どんな問題や困難に直面しても逃げ出すことなく、たとえ失敗したとしても問題解決に取り組み前に進むことができる人間こそ、優れた人間なのではないでしょうか?そして今の時代、そのような行動を取れる人間がとても少ないように感じます。