神を超えよ! 仏を超えよ! 積哲夫の言葉【第二百十三回】

 

 

世界はどこへ その七  地球の精神史

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千二十一年 三月 十日 配信

 

 

:義の人でありなさい、と私はいっています。義の人というのはね、宗教家が目指した本当の神(様)の代理人ということなのです。バチカンの教皇が神の代理人ではないのです。神の義を、人間世界において、体現する人が神(様)の代理人なのです。ですから、そういう人達がアメリカで復活して、イエス様と共に戦っているのです。

 

何田:神の義を体現する人が、神様の代理人になるのですか!

 

積:そうです。

 

何田:スティグマータ(聖痕)みたいに、イエス様と同じ場所に傷でてきて、血を流したり、という聖なる印(しるし)みたいに・・・これは神秘体験ですが。

 

:神秘体験ですよ。今、結構多くのマリア像が血の涙を流しています。

 

何田:えっ、そうなのですか? 現代でも涙を流すマリア像がありますか?

 

:はい。世界のあちこちのマリア像が、今の時代はこれから大変な時代になるから、涙を流しています。

 

何田:やっぱり、本当だったのですね。聖マリア像が血の涙を流すという現象は! ファンタジーでなく本当だったのですね。

 

:ええ本当です。どうして?

 

何田:積先生が、島道鉱泉水は意識があって、水が光の意識を持っていて、「働きますといっているよ」、といわれたのです。その島道鉱泉水の意識は、神々よりも上の光の意識です、とも説明してくださいました。それで、水、H2Oは宇宙の初期五億年くらいには、もうすでに存在していた、とする説があるのを思い出して、水にも意識があるから、聖マリア像も涙を流すのは道理が通る、と思ったからです。

そこで、積先生に質問です。物質には、意識がありますでしょうか?

 

:物質には、意識があるとしか思えない。その辺の詳しい説明は、そのうち鷲尾さんがすると思いますが、要するに石とか、木とか、水とかは意識を持っています。今までは人間側が、この世が穢れすぎていて、人間の皆さんがその意識を感知できなかった、だけなのです。それで、縄文時代の神様というのは石(岩)だったりするのですが、それは今でも死んでいません。これから、復活します。今まで黙っていただけ、だから。

 

何田:縄文時代の神様? ですか?

 

:そうです。縄文時代の神様が復活して、いま日本を取り戻そうとしています。だから、ここから日本でも、ますます面白いことが起きるのです。で、そういうことを感知できる人間達が、これから生まれてきます。人間の意識のクライマックスは、この聖書の時代の終わりなのですが、地球の精神史というのは、改めて正しい精神史が紡がれるようになると思います。でも、それは私の役割ではないので。 (何田注:積先生の役割は聖書の時代を完成し、終わらせること)

なぜっていうと、それは精神学を学んだ人間は、過去にも未来にも行けるからです。意識は時間を越えて、飛ばせるからです。

 

何田:ああ、お釈迦様の未来と過去を見通すことができたという超能力みたいなことですか?

 

:そうそう、未来も過去も知覚できる能力、それが誰でもできるようになります。そういう意識領域というか、脳を含めた人間の身体の潜在能力を高めるための教育が、これから必要になります。それは過去の宗教的な教育は必要ありません。本当の神様の教育、つまり精神学的な教育がこれから必要になります。

 

何田:ということは、本当の神様と、たましいを教える教育が大事になります。

 

:たましいを教えるというより、精神学の立場はね、やがて科学は神を再発見するというのがテーマです。神を再発見した時に、今の科学の根拠はすべて崩れるのです。それは、たましいも存在すると認識することになるということです。ですから、そこに新しい知の分野が生まれるのです。

 

何田:それはつまり科学的に実験してみたら、実際(精神学の)その通りだった、いうことになりますか。

 

:今の科学技術では、検出の方法がないだけだから。

 

何田:巷では、たとえば精神性の高い人が作る料理は美味しいと、いわれています。そのようなことは、ほとんどの人が知っている現象です。

 

:そう、皆さん人間の感覚としては理解していることです。だから人間は、わかるのです。わかるということは、事象として存在しているということです。今はまだ、科学は知識が足りないので測ることができないというのは、科学が未熟なだけなのです。

 

何田:積先生は、生命は神様を測るため、または認識するために、物質宇宙が生命を誕生させ進化させた、といわれてきました。

 

:私はそう思います。生命は、精神的な進化のために、どうしても必要なものだったのです。ただ、生命は死ななければいけないでしょう。生命の偉大なところは、死ぬというところです。死は偉大なのです。死ななければ、更新ができないからです。

 

何田:ああ! そういうことでしたか。生命は誕生し、人間として身体で光と闇をわけ、脳で神様を考え、闇に光を当ててデータ化し、浄化する。たましいは、死なないで光の多いものは光で働き、闇の多いものは地獄に行く。しかし、人間や生命の肉体は、更新するために死ぬ必要がある。積先生、たとえば虫のアゲハ蝶(チョウ)が、青虫からサナギになり、サナギからチョウチョになりと変態しますが、これも死ですか?

 

:そういう考えもできると思います。虫たちが姿を変えることはまったく別な生き物になるということです。だから人間なんて、いつまでも人間の形のままでいる必要はないですね。ある日突然、人間の背中から羽が生えて空を飛べてもいいでしょう。そう、思いませんか。姿形は変わっても、たましいというものの価値は失われるわけではありません。そう考えれば、闇の者として生きるか? 光の者として生きるか? といえば、光の者として生きた方が面白いよね。今まで苦労が多すぎたから、皆さんが恐怖心で動けなくなっているのです。二千二十一年からその恐怖心が徐々に溶けていきます。