神を超えよ! 仏を超えよ! 積哲夫の言葉 【第二百六十一回】

 

 

光の領域 その三 光の人として働く3

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千二十二年 二月 九日 配信

 

 

: 神様は、神を超えるために人間に降りているのに、「神様、助けて! 」と、人間がいくらお願いしても、神様は助けてくれません。当たり前のお話しです。神様は、人間のあなたの中におられるからです。

 

何田: 人間の中に、光と闇があります。神様の中にも、光と闇があります。仏様の中にも、光と闇があります。悪魔の中にも、光と闇があります。この宇宙に生まれたものは、すべて光と闇を持っています。

すると、人間の中で光ばかりになれば…、闇を浄化して光百パーセントの、光だけの自分になれば、どうなりますか?

 

: 光だけの自分になれば、宇宙は要らないのです。その人間に、この宇宙は要らないし、身体も必要ありません。

 

何田: 昔、積先生がいわれた、人間が光の人になれば、宇宙を卒業するということですね。

では、人間である期間で「苦労する」というのは、たましいの中にある神様の中の、光の部分が覚醒するために苦労しているのであって、覚醒したら苦労が無くなる? 苦しみは無くなるのでしょうか?

 

榊白: 苦しいと思いますよ。

 

何田: でも、喜びはあるでしょう。

 

: 喜び? 瞬間的にね。瞬間的に、ですよ。喜びがあって、私的に表現するなら、「一神教の神様を超えました! 」と喜んでいたら、突然、宇宙の暗黒が目の前に現れます。

 

何田: 自分の闇を浄化し尽くして、光の自分になれたと思った瞬間、次は、宇宙の暗黒と対峙しなければならなくなる、ということですか?

 

: そうです。だから人間が生きている間にしなければならないことは、いっぱいあるのですよ。

 

何田: 宇宙の暗黒は、その…。

 

: 宇宙の暗黒については、明日(二千二十二年一月十六日のシンロジカルセミナー大阪)のテーマなんだけどね、宇宙の暗黒を見て「これはどうしたものだろう? 」と、ずーっと考えておられたのがブッダです。だから人間は、ブッダを超えない限り、この宇宙から脱出ができないのです。

 

何田: 精神学を学んで理解したことは、自分の行動や気持ち、思った事は全部が記録されていて、最後の審判まで残るから、何をしても責任は自分に返ってくるから、未来の先を読み切って行動に当たるのが必要だということですね。

 

: 少し違うかな。

 

何田: 違いますか? 自分の発する言葉一つで、周りに影響を与え、結果自分の人生が左右されることになるなら、言葉一つが次の暗黒を呼び寄せるでしょう。

 

: だから、それは闇の世界に生きている人にとっては、そうでしょう。

 

何田: はあ、光の中で生きている人は、また違いますか?

 

: 光の中で生きている人なんて、この地球上には誰もいないの。どこに、光があるのですか?

 

何田: えっ! そうなのですか? この地球上は闇ばかりで、光は無いって。では、どうすればいいのでしょうか?

あと、もう一つ同じような質問があります。昔二千年前、イエス様を十字架に架けた金融業界、マネーの闇の人達は、その中の一人一人は、それぞれがイエス様を邪魔だな、とか疎ましく思っていたことでしょう。でもそういう人達が集まり、集団になると、なぜ、イエス様を「邪魔だから、殺した方が良い! 」と考えるようになり、そして、行動として実行してしまうのでしょうか?

なぜ、魔女裁判みたいに、自分に合わないものに、そこまでの怒りが生まれ、「邪魔だから殺す」行動ができてしまうのでしょうか? それはこの宇宙が生まれた時から持っているものでしょうか?

 

: そうです。

 

何田: なぜ、怒るのですか? 殺したり、消してしまえと思うのでしょうか?

 

: それがこの宇宙のカルマだからです。

(カルマ:「業」、「行為」、または行為の結果として蓄積される「宿命」。カルマは過去(世)での行為は、良い行為にせよ、悪い行為にせよ、いずれ必ず自分に返ってくる。)

 

何田: そこがわかりません。例えば、オリンピックの起源はオリンピア競技からで、人間は争って勝者を決定します。それを見て興奮している。勝ち負け、争い、怒り、排除、それは、生物自身が持っている闇なのでしょうか?

それとも、「争い、戦う事でしか、解決しない方法」を大事に持っている主義というか、プログラムなのですか? なぜ、そんな闇の主義、闇のプログラムが、存在するのでしょうか?

 

: はい、主義というか思想なのか? それはわかりやすく説明すると、「人の”の前に、宇宙の法がある」ということです。そして、「この、宇宙の法は、復讐権の法なの」です。「神になるということは、この復讐権を行使できる」ということなのです。

それを、一神教では勘違いをして、“最後の審判”といっています。一神教が主張するような “最後の審判”なんて起きようがないのです。それは、復讐だからです。

本来、するべき方法は、復讐ではなくて。私がいつも説明している『裁きは天に委ねよ。』が一番良い方法なのです。

裁きを天に委ねるためには、過去の事象に光が当たって、正しいデータとして記録が残ってなければ、裁きようがない。だから、そのために闇に光を当てるのです。

その「光を当てる」ということが、私達の「意識の仕事」なのです。「人間はそのために存在している」のです。

「宇宙のカルマを解明すること」がブッダの時から今日まで、人類には要求されているのです。

 

何田: だれから、ですか?

 

: 宇宙そのものから、です。