60.お別れ

 アエラスじいちゃんは再び杖をつきながらゆっくりとした足取りで家の外へと向かっていった。そんな様子を見ていたフォティアは、

「じいちゃん、大丈夫なのそんな体で!?」

と心配そうに言うと、じいちゃんは、

「大丈夫じゃ。
 心配せんでええからついてきなさい。」

と言って昔二人で稽古していた家の空地に向かった。空地はあまり手入れがされていないせいか雑草が所々生えていたが昔と変わっていなかった。フォティアは、

「ここで、はじめてじいちゃんに投げられた時は本当に驚いたよな。」

と当時のことを思い出していた。初めて武術と言うものを体験しそのインパクトが記憶に強く焼き付いており忘れられないのだ。フォティアはそのときの体感を未だにはっきりと覚えていた。
 じいちゃんは空地に着くとその場にしゃがんで持っていた杖を静かに地面に置き、しばらくその場でじっとしていた。すると突然音を立てて大きく息を吸い始めたじいちゃんの身体は大きく広がりそして止まった。そして、ゆっくりと息を吐きながら立ち上り曲がった体を少しずつ起こしフォティアに向けて軽く構えたのだ。その綺麗な立ち姿は、さっきまでのじいちゃんではなかった。フォティアは天をも貫く光の柱が昇るような意識をじいちゃんから感じとった。この一帯がすべて光で覆われそれが無限に天高く昇っているのだ。

「全く別人だ!!
 初めてだ、こんなじいちゃん見るのは!
 すごい!!」

とフォティアが呟くと自分も今までのすべてをかけて本気で構えた。もちろんそこには闘争心や勝ち負けなどと言う闇の意識はない。ただあふれんばかりの光のエネルギーでこたえたのだ。そのとき、じいちゃんに手加減無用であるとはっきりと悟ったフォティアは心の中で、

「じいちゃん、これが俺が知ったすべてです。
 全力で行きます。」

と言ってじいちゃんに相対した。その構えはアエラスじいちゃんと同じく光の柱が立っていた。完全にフォティアはじいちゃんと同じ意識状態なのだ。二人の二本の光の柱はさらに大きく天高く昇り、一面曇りがちだった空が二人の頭上だけいつの間にか大きく青空を覗かせていた。お互い言葉を交わすことなく、ただ愛と言う光のエネルギーだけで繋がっていた。二人にとってもう言葉は必要ないのだ。風は止まり動物や虫の鳴き声すら静かになった中、しばらく静かに相対していた。まるで時間が止まっているかのように。
 しかし、時は動いていた。頭上の青空をのぞかせていた場所からこの星の太陽が顔を出し二人に光が差し込んだ。その瞬間である、まるでそれを合図と言わんばかりに突然フォティアとじいちゃんは同時にお互いの間合いへと瞬時に入り相手の真正面へと目にもとまらぬ速さで攻撃に入った。お互いの攻撃は両者がぶつかるぎりぎりで捌きの体制に代わり相手の攻撃をいなすようにお互いの手の甲が接触した。その一瞬、光がさらに強くなり二人は光の中で時間が止まっていた。その間、アエラスじいちゃんにはフォティアの魂に刻まれたこれまでの物語を、またフォティアはアエラスじいちゃんの魂に刻まれた人生のすべての物語を共有した。それはお互いのすべての知識や経験を共有したのである。そのとき時間は止まっていたが二人の意識は止まっていなかった。そして、また時間が動き出すと二人の体はまるでお互いの体を通り抜けるかのようにしてすれ違っていた。じいちゃんは、

「その若さで、よおそこまで極めた。
 よい経験をしてきたのう。」

と言いながら、心の中であんなに痩せててちっぽけだった子供がここまで立派になり、自分が伝えたかったことを完全に受け継いでいることに感動したと同時に嬉しかった。そしてじいちゃんは、

「フォティアよ、お前がこれからわしの武を伝えていきなさい。
 じゃがな、前にも話したと思うが、武術なんぞは一つの手段にすぎん。
 本質は本当の自分を目覚めさせることなのじゃ。
 そうすれば自分の生きる目的が分かるじゃろう。
 お前さんはすべて分かっておる。
 多くの人がそれに気付けるよう手助けをしてあげなさい。」

と言うとフォティアは、

「俺は、じいちゃんからもっと学びたいんです。」

と言うとじいちゃんからは、

「もう伝えることは何もない。
 今の手合わせですべてが分かったじゃろう。」

と断られた。そう、今の一瞬の光の交流でフォティアはじいちゃんが生涯かけて会得した知識がすべて伝わり、自分が知ったことと全く同じものであることが分かったのである。フォティアはじいちゃんの言葉に納得し、これ以上交渉しても駄目だと諦め、

「よくわかったよ、それじゃあ...もう行きます。
 さようなら、アエラスじいちゃん。」

と言って、とても残念な気持ちでじいちゃんの元を去ろうとしていた。そんなフォティアの背中をじいちゃんは優しく見つめていた。フォティアは地面に視線を落とし、とぼとぼと肩を落して歩きながら、少年時代、じいちゃんから農作業を教えられていたときの映像や武術技を一から稽古してきたときの映像が走馬灯のように頭の中を駆け巡っていた。泣いたり、笑ったり、痛かったり、叱られたり、褒められたりとあらゆる場面とその時の感覚や感情が湧き出てきて止まらなかった。これでじいちゃんとは二度と会えないんだと思うと悲しくて仕方がなかった。
 しかし、少し歩いた後フォティアは気を取り直し顔を上げた。そして、じいちゃんの方に振り返り背筋を立てアエラスじいちゃんに向かって、

「師匠!!
 ありがとうございました!!」

と大声で言って深く頭を下げた。その目からは大粒の涙がとめどなくこぼれ落ちていた。じいちゃんはそんなフォティアを見て静かに涙を流していた。フォティアは涙を拭い去り走ってじいちゃんの家をあとにしたのだった。