Vol.66:三章-4

 そして、MOTHERはこうも続けた。
「まさか、こんな場所までお越しいただく幸運に恵まれるとは思いませんでした。本国から拉致されたシンカナウスの市民をここまで送り届けてくれたこと、感謝いたしますわ」
「――ぇ」
 はっと気づいたドリウスがこちらに手を伸ばす前に、リーデルの足下がするっと口を開き、透明な円柱がせりあがってくる。すとんっと尻餅をつく形でリーデルは座り込み、あっという間に囚われてしまっていた。MOTHERはにこやかに笑っている。
「……テメェ、この()に及んで何のつもりだ?」
 何かを感じ取った様子のドリウスが、半笑いになりながらあとずさった。その顔には軽口どころではない量の冷や汗が浮かび、ありありと、彼流に言うなら「ヤベェところに来てしまった」と書いてあるように見えた。
「私の作者は、男の子なのです」
「は?」
 ドリウスは怪訝そうに眉を潜める。

「ですので、男の子の夢として――この部屋には、私にも止められないのですが、実は一定の水準以下まで稼働率が下がった場合、自爆するような装置がついておりまして……」
 困った人たちねぇ、とMOTHERは溜息を吐いた。
 嘘を言っているようには見えなかった。
「っ――!」
 一気に血相を変えたドリウスは、リーデルを一瞥(いちべつ)するも、即座に(きびす)を返した。
「あら、いけないわ。せっかくいらしたのだから、最期にお茶でもと思ったのですけれど」
「お気遣い痛み入る! 俺はまだテメェと心中する気はねぇんでなぁああああああ!」
 破れた鉄のドアを抜け、高速で閉まっていく予備シェルターに危うく挟まれそうになりながら、傭兵は脱兎の勢いで逃げの一手を図る。
 少ししてから、遠くの方からかなり大きな爆発音と振動がこちらに伝わってきた。
「…………」
 あとには、燃え盛るコンピューティングルームにぽつんと取り残されたリーデルと、MOTHERの二人だけ。
 MOTHERはああすっきりした、といわんばかりの笑顔で手を振っていたが、さて、とこちらを振り向いて、しゃがみ込んだ。リーデルと目線を合わせると、彼女は穏やかに慈愛をこめて笑いかけた。
「……無事でよかったわ。リーデル・セフィア。リーゼが心配しておりましたよ」
「……な、何で、私の、こと」
「エメレオの手伝いなんて気が進まないと言いながら、ちゃんと設置直後から、私のチェックをモニター越しに細やかにしてくれたでしょう? 行方不明になったと聞いて、私なりにあなたのことは探していたのです。生きていてくれて、ウォルター博士から取り戻せて本当によかった」
「…………おぼえて、たの? あんな、ちいさなことを?」
 人間だったら、忘れてしまうような、些細なことを?
「突然閉じ込めてしまってごめんなさいね。これ以上はあなただと空間の熱に耐えられないと思って、早々にカプセルの中に保護させてもらったの。自爆に巻き込まれないよう、遠くの安全圏に逃がしてあげるから、安心してくださいね」
 自爆自体は起きるのか。息を呑んだリーデルの表情から、MOTHERはほろ苦く微笑んだ。
「起爆するのは、システムが停止したと判定された瞬間、です。ゼロパーセントでも、以下、でしょう? 技術や機密を守るため、破壊措置はどうしても組み込まれるものなの」
「……何で、責めないの」
 え、とMOTHERは虚を突かれたように瞬いた。
「……何で、何で私のことを責めないの!? 私は国を裏切って、あんたのことをばらして、壊れて困った顔をすればいいと思ったのに、何で私のことを助けるの!?」
「それは……私は、人を裁くシステムではないからです」
 は、とリーデルは呆けた。
「あなたはきっと、(さらわれてからずっと、ひどい目に遭ってきたのだと思います。人間の心は追い込まれれば弱くなるものと、私は知っています。耗弱(こうじゃく)状態にあったあなたが行った罪が、いかなるように裁かれるべきかを決めるのは、私ではなく司法の人間の仕事なのです。――だから、私はあなたを断罪はいたしません。ご希望だったのであれば、ご期待に添えずごめんなさいね」
「……あんた、イかれてるわ」
 リーデルは呟いた。
「どこの理想人格よ。人間の性格を元にして作ったくせに、お綺麗ごとばっかり抜かしちゃって、……あんたのそういうところが、ずっと、ずっと、大っ嫌いだったのよ!」
 激したリーデルに合わせるように、ぼんっと大きな爆発がMOTHERの後方で起きて、リーデルはびくりと肩を震わせた。命の危機にあることを改めて思い知ったのだ。