42.疑念

 母が恐れていたもの、それはフォティアの瞳であった。真っ赤に染まった瞳が母は怖かったのだ。その瞬間、フォティアは母の顔と怯える若い女の顔が重なった。それは訓練生だった頃、先輩に誘われて女性に誤った行為をしそうになった時の女の顔であった。

「もしかして自分に父親がいない理由は...」

とフォティアは直感した。そしてフォティアは、当時軍に入隊することを母に初めて話したとき、いつも穏やかな母が声を荒げて反対したときのことを思い出した。フォティアは信じたくはなかった。母はもともと街で生まれ育った。両親が亡くなり一人で酒場で働きながら生活をしていた。そうした中でフォティアが生まれ母一人で育てられたのだ。それからフォティアがある程度歩けるようになった後、今の村に移り住んだのだが、そのときすでにネロウを身籠っていたのである。フォティアは村に来る以前のことは覚えておらず、この話をアエラスじいちゃんから聞かされていた。フォティアは母がなぜ街から遠く離れたこの村に来たのか何となく察した。母は、

「ごめんよフォティア。せっかく戻ってきてくれたのに気を悪くさせてしまって。母さんもネロウもお前からの仕送りのお陰でずいぶん助かっているのよ。お礼を言わないといけないのに、本当にごめんなさい。」

と何度も謝っていた。フォティアは、

「母さん、僕は大丈夫だから、気にしなくていいんだよ。」

と明るく返した。フォティアはそんな母の姿を見ているうちに軍の人間そして貴族たちに対して怒りのような感覚が湧いてきた。そして今のこの国のあり方への大きな不信感がフォティアの中に再び芽生えたのだ。フォティアは以前にも軍上層部の人間や貴族などと言われている者たちに対し疑念を抱いたことがあったのだ。

 それはフォティアが正規軍の戦闘部隊に加わって間もなくのことである。フォティアは白兵戦専門の部隊に配属されているのだが、軍部内では新人兵の中で成果を出したものには貴族たちの晩餐に参加させるという風習があった。そして、フォティアはその晩餐に選ばれたのだ。成果を出したと言ってもフォティアの活躍は他の軍人と大きく異なっていた。本来、戦である限り兵士は敵を殺害するものであるが、フォティアはすべてフォース国兵士を殺害せず素手で相手の武器を奪い戦闘不能にしたり軽く気絶させるなどして逃がしていたのだ。フォティアとしては、アエラスじいちゃんとの約束もあったが、敵の兵士といえども誰も傷つけたくはなかったため戦い方を自分なりに考えた末こうした手段をとったのである。しかし、そのやり方はスコタディ軍としては受け入れがたい行為であるが、フォティアの活躍によりいくつかの作戦で大きな勝利に結びついたため軍部内でもフォティアを高く評価したのである。
 晩餐当日、フォティアには真新しい制服が与えられそれを着て晩餐会場に連れられていった。大きな門をくぐり会場に到着するとフォティアは、

「立派な建物だ!全部石作りなのか!この国にこんな建物があるんだ!」

と思いながら、初めて見る宮殿のような建物に驚いていた。出入り口だけもで三、四階ほどの高さはあり巨大な扉のようになっていた。そこを入ると大きなエントランスになっており、床は輝くように磨かれた石が敷き詰められていた。さらに所々にある装飾品が金色に輝いていた。フォティアが圧倒されている間に貴族らしき雰囲気の者や制服を着た軍人がそのエントランスに続々と現れ、奥の会場へと向かっていった。晩餐会場内は、床一面ふかふかした絨毯が敷かれ、とても奥行きのある広いホールであった。高い天井からは複雑な形をした明かりが取り付けられこれも金色に輝いていた。晩餐は貴族らしきものが司会進行を務めていった。はじめに前回の晩餐から今日までに活躍した軍人の紹介が行われ、その中の新人の部でフォティアを含め数名が紹介された。その後各表彰が終わるといよいよ晩餐は開始された。音楽が奏でる中、軍人や貴族たちは食事をしたり、お酒を飲みながらダンスや会話をしたりと優雅なものである。そんな初めての場所に少し戸惑っていたフォティアの後ろから声がした。

「何しに来やがった、フォティア。ここはお前が来るところじゃないんだぞ。うせろ。」

エダフォスである。フォティアは、

「なぜ、お前がここにいるんだ。」

と言うと、エダフォスは、

「俺はお前と違ってもともとエリートなんだ。お前は目障りなんだよ!くそ!」

と、言って離れていった。エダフォスは、フォティアが活躍していることに猛烈に嫉妬していた。また、格闘トーナメントで失神させられたことに対しても未だに忘れられず根に持っているのである。フォティアは晩餐の様子を俯瞰するようにしてみていた。始めはそれなりに品格ある晩餐と思っていたが終わりになるにつれ、皆様子が変わっていくのである。軍人や貴族は酒に酔い、女も男も乱れて騒ぎ、中には不適切な行為をするものまでいたのだ。フォティアは、

「酷いな、何なんだこれは!贅沢三昧の食事を粗末にして、お酒を飲んで酔いつぶれたり騒だり!」

と思っていた。フォティアは、このとき初めてこの国を統治している人間たちに疑念を抱いたのだ。しばらくすると貴族のマダムが数人すり寄ってきた。そして、一人の貴婦人が、

「今夜のお相手よろしいかしら。あなた噂ではとても優秀って聞いてるのよ。私に声をかけてもらうなんて光栄なことなのよ。」

と言うと、他のマダムも

「駄目よ、今晩は私が頂くわ!」

とフォティアを取り合いになっていた。フォティアは慌てて用を足してくると言ってその場を振り切り、二度とそこには戻らなかった。

 それ以来、フォティアはこの国の貴族や軍人は何をやっているんだと考えていたのだ。そして母に再会し、この国を治める者たちは狂っていると確信したのだ。