私は同僚との会話からの思わぬ気付きに浸りながら僅かに酔いが残った状態で駅へと向かって歩いて行った。私は、冴えない思考の中で、
「人は繰り返しの生活の中で何をベースに思考して生きていくかで人間性や精神性が大きく違っていく。
自分のように生死を分かつような経験から生きる目的について真剣に思考するもの、
方や、世の中の社会や生き方に何の疑問も持たず目先の生活や趣味など物質的生活を豊かにすることなどしか考えないものや、仕事を趣味のように打ち込んだりまたはスキルアップのため勉学に励むもの、また、自己顕示欲が強く有名になることや注目されることしか考えていないものや、楽するためまたは贅沢するためにお金を得ることしか目的に考えないもの...」
と当たり前のようなことをぶつくさと呟きながら、普段の通勤には利用しない駅へと過去の記憶をもとに歩いていた。私は、学生時代に数えるほどしかこの辺にきたことがないので駅への詳しい道順があいまいだったのだ。しばらくし目印にしていたアーケード街が見えてきた。
「確か、このアーケードの先だったよな、駅は。」
と言いながらも駅の案内板が目に入ったため安心しアーケード街に入った。ほとんど通ったことがないアーケード街だが、この時間ともなるとどの店も閉まっており人通りもなく静かで少し暗い感じの街頭が何か冷たさと物寂しさを感じさせた。そんな雰囲気の中を歩き続けるとアーケード街が終わりに差し掛かりその先に駅のプラットフォームが見えた。私は駅が目の前にあることが分かって少しホッとした。あらかじめ調べていた時刻表では次の電車が終電であることを知っていたからだ。そして、アーケード街を抜けようとする手前で一軒の店の灯りがついているのが目に入った。古い佇まいの店は入り口に味わい深いガラス格子の木の引き戸が使われておりそこから店内の灯りが漏れていたのだ。店の入り口には開店中の札が下がっており、その上には大きく看板で未来古書店と書いてあった。古本屋である。私は、
「古本を売っていながら未来とは洒落た名前の古本屋だな。」
と声に出していた。終電の時間まであと二十分ほどあったため、時間つぶしにと私は少しだけ古書店を覗いた。
木の引き戸を開け店に入った途端、古い本の香りがした。決して悪い香りではなかった。裸電球の少しオレンジがかった色がアーケード内の薄暗さとは対照的で何かとても暖かみを感じさせるそんな小さな古書店であった。店の奥にレジがあるようだが店主はそこにはいなかった。
「こんな時間にはお客が来るとは思わないのか放ったらかしなのだろう。」
と、私は思っていた。
店内は中央の入り口から奥のレジに向かって本棚が背中合わせにあり、それが店内を左右に二分していた。さらに両サイドの壁にも本棚があり隙間なく古書で埋め尽くされていた。古書店と言うだけあって、色あせた古びた本もたくさんある。私は入り口左側の本棚からゆっくりと古書の背表紙を上から下へと流し見しながら奥へと進んでいった。旧仮名遣いの本が目立ったが、私はなぜか分からないが本棚奥で立ち止まり無意識に一冊の本を手に取っていた。表紙も背表紙も日に焼けてたため題名など気にせずただ本を開こうと本を立てると勝手に開いてしまった。古本だけに折り目が付いていてそのページの箇所が開きやすくなっていたのだとそのときは思った。私は何気なくその開かれたページの途中の行に目がいった。そして、そこに書かれていた文章を何も考えずただ勝手に黙読していたのだ。
「人間という身体を持った存在の間しか、精神は成長しない...
...死後、その結果が問われる」
私は再び同じ行を読み返していた。何か一生懸命自分の思考が目を覚ませと言わんばかりに何度も同じところをなぜか繰り返すのだ。しかし、徐々に思考が戻り意味を考え始めた。その途端、
「え!」
と声に出し、この言葉に引き込まれた。そして、闇雲に他のページを開くと、
「人間である間に上昇すれば 光の中にされる」
とあった。そのときわずかに酔いが残っていた私は、とてつもない衝撃が走り一気に目が覚めた。たったこれだけの言葉で何か自分の中で腑に落ちたのだ。私はこの本は読む価値がある、否、読まないといけないと直感しこの本を買おうと店主を呼んだが、誰も出てこなかった。駅からのアナウンスが小さく聞こえてきたため私は本を棚に戻し急いで駅に向かった。その後駅構内で電車を待ちながら、また別の日にここに買いに来ればいいと軽く考えていた。
翌日、営業の外回りのついでに昨晩のアーケード街の古書店に向かったが店のシャッターが閉まっていた。今日はお休みかと思いまた明日来てみようと思った。しかし、翌日も翌々日もお休みだった。この古書店はきっと夜か深夜しか店を開かないのだろうと思い、何時頃この店が開くのかを確認しようと隣の不動産屋に入った。
「御免ください。」
と言うと、店の奥から店主らしき中年男性が現れた。私は、
「お隣の古書店のことでお尋ねしたいことがあるのですが。」
と、不動産屋の店主に尋ねると、
「お客さん、お隣の店舗借りたいのかい?」
と聞かれた。私は、
「いいえ、お隣の古書店は何時に開店するかを教えていただきたいだけですが。」
と言うと、店主は、
「隣は半年以上前から空き店舗ですよ。」
と言われてしまった。私は確かに古書店に入って本を見ていたのでそんなはずは無いと、
「いえいえ、数日前の0時過ぎにお店開いてましたよ。私、中で古本を立ち読みしてましたから。」
と言うと、店主は、
「お店を勘違いなさっているんじゃないですかね?
隣はうちで扱っている物件ですよ。」
と言われたが、私は納得がいかず、
「すみません店舗の中を見せて頂けないでしょうか?」
と図々しくお願いした。店主は、
「まあ、いいですけど...気が済むまで中を見てみて下さい。」
と言いながら小柄でズングリした中年の不動産屋店主の後ろについていった。店主は、
「どっこいしょ!」
と言って、古本屋の表のシャッターを大きな音をたててあげた。私はあの時見た引き戸の入口で間違いないと思った。しかし、確かに中はほとんど何もないが壁に備え付けの本棚は残っていた。
