38.気づき

 激闘の果てに勝負がついた。訓練生たちは皆動きを止め、一人立ち尽くすフォティアのほうを見ていた。その光景はまるで時間が止まっているかのように静かだった。徐々に身体の感覚も意識も戻り始め、我に返ったフォティアは、

「しまった!使ってしまった!」

と小声で言い、アエラスじいちゃんから禁じられていた技を無意識に使ってしまったことに悔やんでいた。しかし、すぐに冷静さを取り戻したフォティアは、

「今のはいったい。」

と、そのときの一瞬の動きを思い出していた。目前で気絶している相手を目にしながらフォティアは、

「相手からの攻撃に全くぶつかりを感じず捌き崩せた。無駄な動きも力みもなく。攻撃もとてもスムーズに流れるように動いた。じいちゃんに教わった動きだ!どうして!」

と不思議に感じていた。アエラスじいちゃんの武術の動きが突然蘇ったフォティアは、この格闘をきっかけに何かに気が付き始めたのである。

「この勝負が決まる寸前、俺の思考は止まり、ただ相手から発する攻撃の意識だけを感じていた。相手と結んでいただけだ。それは、今まで体感したことのない感覚だった。じいちゃんと稽古した時にも無かった。」

フォティアは、さらに深く考え続け、そして感じていたことをさらに思い出していった。

「こいつと格闘しているときはずっと強い怒りと闘争心があった。しかし、最後の技を繰り出す寸前それがすべて無くなっていた。それに比べ今までの俺は完全にこころも身体も乱れ続けていた。今になって考えると自分を制御出来ないほど舞い上がっていた。こいつに対してはより激しかった。自分を見失っていたんだ。しかし、今は何か自分を覆っていたものがすべて剥がれ落ちたような感じだ。」

と。フォティアは今までに経験がないほど逆上していたため内面的な乱れが特に顕著に現れたのだ。しかし、そこになかなか気づかないのも無理はない。訓練生の食事に仕組まれた薬物の影響は、時には一旦高揚すると冷静な判断を失うほどの闘争心を引き出すからである。そして、フォティアはその状況に陥っていたのだ。それは同時に無駄な筋力を引き出し本来持っていた純粋な武術技をも次第に封じ込めていたのだ。しかし、極限まで格闘することで激しい肉体的疲労は程よく力が抜け、さらに思考停止状態にまで陥ったフォティアは、無意識にアエラスじいちゃんから教えられた技を繰り出していたのである。そして、フォティアは気が付いた。

「問題はこころの中か。」

ということに。さらに、

「じいちゃんが話していたことはこういうことだったのか。せっかく正しい武術のテクニックを学びその身体能力を得ても、相対するものをどうにかしてやろうと思うこころ、自分の技に慢心するこころ、得意になり優越感や思い上がるこころ、そして闘争心などが技を雑にすると同時に無駄な力が入り無理やり相手を抑えようとしてしまう。その力は相手に直接伝わり反発心を与えてしまう。そしてそれが再び自分に跳ね返ってくるんだ。」

と分かった。相手に力でねじ伏せようとすればその力はダイレクトに相手に伝わり当然相手も力で反抗する。格闘の場においてそれは通常の反応である。この野郎と憎しみなどをもって相手に対抗すればそれはさらなるぶつかりを生じさせ、より力比べになる。今の激闘がその状況を端的に物語っていた。訓練生成り立ての頃は、素直に相手の力に歯向かうことなく出来たことが、なぜ出来ないのかを身をもってフォティアは理解した。また、フォティアは普段自分よりも格闘技術が格下の訓練生に対して、得意になっていたことにも気付き始めた。自分は特別などと思い上がっていたのだ。驕り高ぶりが、さらに技を劣化させていたのだ。

「こころの中の格闘相手への闘争心や怒りや憎しみなど、いろんな不純な思いが技に乱れを生み出し相手との衝突を起こす。それは格闘という肉体的な接触では顕著に現れるんだ。武術はそれも教えてくれる。体が武術のできる肉体になってもその体を使う人間のこころ、否、精神が問題なんだ。じいちゃんの言っていたことだ。正しく武術で身体を使うということは、こころの制御が大切なんだ。それには常に自分を正しく知ることが必要だ。」

と思った。フォティアは、

「それを知ってどうする。」

と思ったが、考えるまでもなかった。当然である。フォティアは身をもって問題点を明確にし理解したのだから。だが、それを謙虚に受け入れられる人間は少ない。通常の人間はこのような問題に突き当たって身をもって経験しても気が付かないか、分かっても否定する。人から言葉で諭される程度では尚更である。反発し、自分とは関係ないと思うか、自分に嘘をつき納得させる。自分はとにかく正しいと正当化するための言い訳をあれこれ考えるのだ。しかし、いずれ再び痛い目にあうときがくる。否、痛い目を見るのであればまだ運が良いのかもしれない。それは知る機会が得られるだけでもましではないだろうか。その機会を繰り返していくと僅かなものだけが気づくのである。自分の愚かさを。そう、それが今のフォティアである。この気づきはフォティアにとって大きな前進であった。フォティアは、

「わかった!」

と心の底から納得して声に出した。フォティアが分かったこと、それは格闘技などに限らず誰にとってもとても高い精神性を要求することである。薬物で肉体もこころも汚染されたスコダティ国軍人や貴族たちならそれは通常をはるかに超えることであることは言うまでもない。

「すべてを、捨てればいいんだ。」

ということにフォティアは至った。