高田弘子ものがたり 根来寺の仏像

~根来寺の仏像~

もう何年も昔の話である。

ある冬の日の夕暮れ、高田弘子さんは特に行くあてなく車を走らせていた。やがてハンドルのおもむくまま向かってたどり着いた先は、和歌山の『根来寺』だった。途中、悲しいわけではないのに涙があふれて止まらない。自分の感情ではない何かに突き動かされての行動とも思えた。もう薄暗くなって寺の門が閉まる直前である。「拝観料は要らないから」と急がせるように係の人が伽藍の中へ通してくれた。そこで見たものは、なんと驚いたことに天井に届くかと思われるほどの・・・どうやってここに入れたのだろう、ここにこんな大きな仏像があったのか、それはなんと、あの『空海さん』の仏像であった・・・まったく不思議な出来事で、こんなことがあるのか、これは確かに現実の出来事だし、と驚きで口が閉じないほどまじまじと、その仏像を見上げる高田弘子さん。ふつふつとよみがえるその記憶を高田さんは私に話してくれた。目はギョロっと高田さんをにらむように見ていて、喉ぼとけがゴクンと動いたのだ。ひいーっ!!びっくり仰天し、ただただその場から逃れるように門を飛び出してしまった。門を閉めようとしていた係の人もずいぶん驚いたことだろう。失礼なことをしたと思ったが、あまりの出来事に動揺しながら帰路に着いた。戻ってからもあまりに衝撃的な出来事だったので友人に話すと、その友人は一緒に見に行きたいと言う。後日再び根来寺を訪れるが、その時そこにあったものは空海さんの仏像ではなく、天井に届くほどの大きさの見上げるほどの大日如来像であった・・・確かに以前見たものは空海さんであったはずが、大日如来に代わっていたのだ。またまた不思議なことだと思いながらの帰宅であった。高田さんは納得がいかないまま、もう一度確認しようと三度目、根来寺を訪れる。そして三度目にみたのは、普通の大きさの大日如来像だったのである。最初、空海を見たあの衝撃の出来事は何だったのか。実はその日、12月12日は『覚鑁さん』の命日であったのだ。『覚鑁』とは空海没後にその教えの振興をはかり、高野山から根来寺へ移ったとされる空海の教えを最も継承していた人物、と伝わる。覚鑁さんを通してつながった高田弘子さんと空海、のちに深く理解していくことになるが、その時はまだ衝撃の出来事でしかなかった。