闇のマネー その二

戦争でマネーを錬金する

労働力すら商品と見做してしまう資本主義において、商品を入手するためにはマネーが欠かせません。やはり鍵を握っているのはマネー、つまり貨幣制度になってくるのでしょう。そして、ここ二百年余りはほんの一握りの人々が、自分達にとって都合がいいように貨幣制度をデザインしてきました。 

では、どうやってこの貨幣制度が形作られるようになったのか、ナポレオンの時代の少し前から歴史を紐解いていくことにしましょう。 

国際金融資本家の筆頭として有名なロスチャイルド家の歴史は、現在のドイツのフランクフルト出身のマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが1760年代に古銭の販売業を始めた頃に端を発します。そしてロスチャイルド家の快進撃は、植民地の拡大を続けるイギリスに、館内で育てた傭兵を貸し出すことで大金を稼いだ、ヘッセン=カッセル方伯家ヴィルヘルム9世を、顧客に獲得したことから始まりました。戦争を利用してマネーを増やし成長したのが、ロスチャイルド家のそもそもの始まりだったのです。 

彼には5人の息子がいました。5人の息子は後にヨーロッパの五つの都市(ロンドン、パリ、フランクフルト、ウィーン、ナポリ)でそれぞれ銀行業を営むことになります。そして兄弟で同じ銀行業を営むことで、彼ら独自の情報伝達ネットワークを構築していきました。 

兄弟の中で最も成功したのは、ロンドンを任された三男のネイサン・ロスチャイルドです。彼はフランス革命後のナポレオン戦争によって、イギリスの物資の流通がヨーロッパ各国で制限された背景を逆手にとり、一族の結束力を活かして、イギリス国内で安価に入手した物資をヨーロッパ各国で高値で販売することによって、富を増やしていきました。ロスチャイルド一族は資産を増やす才能に長けており、ありとあらゆる手段を講じて財産を増やしていきます。 

そして決定打がナポレオン戦争のワーテルローの戦い(1815年6月18日)です。この時、ナポレオンはイギリス・オランダをはじめとする連合軍とプロイセン軍に敗退しました。ところが、情報通のネイサンは、この時保有していたイギリス公債を売却します。周りの人々の目からしたら、イギリスが敗北し、イギリス公債が紙切れ同然になると知ったネイサンが、いち早く公債を売却し、損失を最小限に留めた、と映ったことでしょう。そのため、多くの人々がネイサンを見習い、イギリス公債を売却したため、公債の価値は暴落します。ネイサンが大暴落した公債を安値で購入した所で、イギリス勝利のニュースがイギリスに届きました。そのためイギリス公債の価値は高騰し、ネイサンは巨額の利益を手にすることができたのです。ネイサンは一族の情報網を巧みに活用して一か八かの(或いは勝率の高い)賭けに出て、見事に勝利したのです。