光の領域 その四 光の人として働く4
◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千二十二年 二月十六日 配信
積: 「この宇宙も苦しい」のです。何田さんや、皆さんの人生が苦しいだけではないのです。「宇宙も苦しい」ことを、よくわかっておいてください。
「なぜ、こんなに殺し合っているのだろう?」。その理由は、今のこの闇の宇宙の中で“最優先されるある種の原理”があって、それは“復讐権”というものです。“復讐権”というものは「目には目を、歯には歯を」というものです。千年経っても復讐するし、一万年かかっても復讐するし、ということが、ずーっとこの宇宙で繰り返されてきました。
何田: 昔、この宇宙で、“宇宙戦争”みたいなものがあって、それが場所や星を変えて、同じようにお互いが“復讐権”を主張して戦い、殺し合っている、というのが今の地球であるということです。その理由が、この宇宙のカルマ(業)である“復讐権”が原因である、ということですか? なんと!
昔から、宇宙では、戦いが好き、競争が好き、最後はいがみ合い、お互いが殺し合って、仲良く暮らすことが出来ない、それと同じですか? そして、最後の決着は、生き残った者が勝ちであり、地球は、昔の宇宙のどこかの戦いをまた繰り返しているのと同じですか?
積: 同じです。この地球も、同じ宇宙のカルマを背負って実行しているのです。それを克服しない限り、人間が苦しみから解放される、なんてことはないのです。
榊白: 宇宙物理学の世界だとすごい数字を扱います。「人間というのは、この宇宙のブレイン、脳みそ、なんだ」って、研究者達はいっています。
積: そうです。宇宙は人間の“たましい”と同じなのです。
「宇宙は、自己を発見するために“意識化する”という法則性」を持っています。
なぜこんなに、血塗られた歴史を歩んできてしまったのか? というのは、それは地球全体の意識としてのテーマです。
だから、人間はミクロコスモスだから、苦しんでいいのです。「私は楽に生きたい」なんて、「楽に生きたければ、人間なんかに生まれてはいけない」というのが本当のお話しです。
何田: 今の地球は、五度目の地球が滅びて、六度目の地球が今の地球です。今から二千五百年前にブッダが出て来られて、地球の苦しみの問題解決には「さて、どうしたらいいのだろう?」と答えがでないまま、悩まれていました。
そして、ブッダから2500年後の現在、苦しんだ人間の“祈り”が宇宙を突破して、今回初めて積先生と積先生をつかさどる存在様が、宇宙ふたつ分離れたところから、この地球にこられた、という認識でいいのですね。
積: そうです。
何田: 積先生と、積先生をつかさどる存在様がこられたところには、“復讐権”はないのですか?
積: ないです。“復讐権”など、存在しません。はっきりいって、この宇宙は、正しい神というものを求めていたのだけれど、この宇宙の中には、正しい神はいない、のが真実です。
私の側(積先生をつかさどる存在の側)の論理でいくなら、“復讐権”ではなくて、“裁き”なのです。
この宇宙でいうなら、例えば「一人一人が救世主」というお仕事は、裁判官ではなくて、せいぜい告発者、または、検察官どまりなのです。「これこれ、こういう証拠がございまして、こいつの罪はこういうものです。ここから先は、どうぞ本当の神様、裁いてください。」というところまでしか、この宇宙の中に、存在をしてはいけない。
だから、この宇宙の神々が、人間より先に裁かれています。
何田: 最終知識にある、ポイマンドレスの神様が「“最後の審判”で裁かれて、地球に戻ってきた」というお話しですね。
積: そうです。
何田: 最後の審判は、人間の身体を持ったままでも、自分から裁きは受けられるのですか?
積: だから、「審判を、求めなさい」と、私は教えています。
何田: 自分でわかるのですか?
積: わかります。
何田: どんな感じで、自分で審判はわかりますか? 審判の層に上がった、とわかりますか? 急に自分で、「あっ、上がった!」という感じですか?
積: 違います。審判の層まで本当に上がったら、何がわかるか? といえば、「自分の脳内宇宙が焼き尽くされる」ということが、自分でわかります。
今の、何田さんみたいに変な事を考える存在は、「もはや、誰一人として生きていない」ということが自分でよくわかります。
私のいっている意味が、わかりますか?
光の道筋からはずれた、光の理屈に合わない自分の中の存在は、一片のエネルギーも存在しなくなる、ということです。
光の論理で考え、光の道を歩むだけの存在に、自分がなったことが自分でわかります。
最後の審判後の世界が、光の宇宙であるとするならば、ぐーたら、ぐーたらいう意識体は、そこには存在していない、のです。でも、現実世界にまた自分が帰ってきたら、ぐーたら、ぐーたら思う意識が、また自分の脳の中を占領します。
だから、何度でも審判を求めなさいと、私がいっている理由はそういうことです。
