神を超えよ! 仏を超えよ! 積哲夫の言葉 【第二百五十二回】

 

 

神様の問題  その一  正しい歴史

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千二十一年十二月 八日 配信

 

 

: 日本の神様は、私がこの宇宙にきた時に、「ああ、これで地球も、宇宙も問題は全てが解決する」と、思ったのだけれど、何にも解決しなかったのです。それは、向こうの神様も知らないし、私と私をつかさどる存在も知らなかったから。日本の神様は「えっ! 全てを知っているのじゃなかったの?」と、思っていたのです。

それで『神の問題』をあきらかにするために、この三十数年もの間、私はいろいろ、じたばた、やってきました。この間は私ひとりで働いているのではないのです。地球の神様も、働いているし、悪魔君達も働いています。

今はアメリカあたりで、別なファクターが入ってきて、もしかしたら過去、人間に関与したUFOに乗っている宇宙人もこの物語に入ってくるのかもしれません。それは神様世界的にいえば、問題としては「同じ」だからそれでいいのです。

「つくづく、人間世界って厄介だね」ということですが、「最終的には片(かた)が付く」からよいのです。

 

何田: 過去、地球では真実を求めて亡くなった人達、殉教や迫害されて理不尽に亡くなった人達の「真実を求める祈り」は、命がなくなっても、地球を超えて、宇宙を超えて、積先生をつかさどる存在様のおられる宇宙の外に、届いたということでしょうか?

 

: そういうことになります。ですから私は、「審判の光」を宿した今の子供達をいけにえにして、食べれば、おまえ達、悪の存在がそこにいることがばれるからね、っていう警告をインターネットやサイバー空間に流しています。

 

何田: 光文書には、闇のもの達も、最後の審判を恐れていると書いてあります。

 

: 最後の審判がなければ、闇のもの達が地球を永遠に支配できるだろうけれど、そんなことは「許さない」。

私をこの宇宙に送り込んだ、私が神というもの、私をつかさどる存在に「許しはない」と、私がずっといっていることを思い出してごらんなさい。うちのルールでは、許しはないのです。許すのは、人間世界だけです。ですから、それはコンピュータに近いのですね。正しいか? 正しくないか? なのです。正しいか? 正しくないか? の世界には、許しなんて最初からないのです。「許してもらえるなんて思うなよ」と、いうことです。それは許してもらうのではなくて、自分で償(つぐな)うのです。

 

何田: 自分で償(つぐな)う。

 

: 違うでしょう。許すのと、自分で償(つぐな)うのは。主体性の問題です。ルール的には、許されることはないけれど、償(つぐな)うことは自分からできることでしょう。

 

何田: ありがとうございました。

次のご質問です。「働く」という言葉についてです。

聖書には「はじめに言葉ありき」という成句(せいく)があります。言葉にはエネルギーが乗りますか? 言霊(ことだま)などどうでしょうか?

 

: 言葉にはエネルギーが乗ります。エネルギーが言葉になるといってもいいでしょう。

 

何田: こうなって欲しいなとか、言葉に出していえば、実際そうなるのでしょうか?

 

: こうなって欲しいなと、人間がいえば、ある程度そうなるでしょう。エネルギーが作用しますから、ただ、何田さん、それはどっちに作用しますか?

 

何田: 光の側にも作用するし、闇の側にも作用すると思います。

 

: お金がほしいな、お金がほしいなと、いっていれば、お金が入る人もいるでしょう。もてたいな、もてたいなといっていれば、もてるようになる人もいるでしょう。何田さんは、そんなことを聞きたいのではないでしょう。

 

何田: 働くっていう言葉はどう解釈すればいいのか? です。

 

積: 「働く」は文字通り「傍(はた)を楽にする」という意味です。重要な点は、働かなかったら虚しいでしょう。「働く」ということの意味がこれからの時代、変わってくるでしょう。

 

何田: それはどういう意味でしょうか? AIが設計し、工作機械が物を作り、人はサイバー空間で働くとかでしょうか?

 

: サイバー空間で働くことが、人間にとって幸せでしょうか? サイバー空間で働くのは、AIで充分だと思います。人間は人間らしく生きるべきでしょう。人間が人間らしく生きて、糧(かて)を得るための手段が、“働く”ってことなのです。

 

何田: 働きたいのです! という、意志の現れの言葉を発していると、現実化するでしょうか?

 

積: 言葉ですよ。何田さんが自分で答えをいったでしょう。言葉です。何田さんが働きたいのは、「光の言葉」を使って働きたいのでしょう。

 

何田: はい、そうです。

 

積: それを実行しなさい。人に光の言葉を伝えたらよいのです。どんな手段であっても。

 

何田: それは積先生の光の言葉をお借りして、人に伝えてもいいのでしょうか?

 

積: はい、どうぞ。何田さんが本気で、光の言葉を人に伝えたいと思うならば、本当に私がこれからこうなるよといっていますと、人に伝えてくれたらよいのです。

そこで光の説明とか、神様の説明とかをしなくてもいいのです。それをするから変な方向に行くのです。仏教のお話をした後で、または日本の神様の説明をした後で、聖書のお話しなんかしたら、一般の人の頭がこんがらがるだけなのです。

 

何田: ああ、なんだ、そういうことでしたか!

 

: その辺のことを、ひと続きの知識で、面白く語れるのは、たぶん私ひとりくらいでしょう。余計なお世話でいうのであれば、もし何田さんが人にお話しをするのであれば、私が書いた物だけをお話してください。ここに言葉が書いてあります、と、それで伝わるはずです。