波動を学ぶことの意味

今日の帰り道は、通勤ラッシュの中での吐き気がすごかった。

 

一人一人が放つエネルギーは大したことがなくとも、塵も積もれば山となる、とはよく言ったもので。

 

車内の波動の酷さにたまらず光への上昇をやっていると、吐き気もマシになるのだけど、別の駅で大量に人が乗ってくると、やっぱり気分が悪くなって、頭痛までする。
仕方がないので、ひたすら真剣に光への上昇をやった。

 

私の場合、上昇はエレベーターやロケットというよりは、ロープウェーのようなイメージ。
ビッグバンのはじまりの前から、宇宙の終わりの後までを一筋に繋ぐ、光の糸を、額の第三の目と言われるあたりの感覚で探って、登っていく。

時々横滑りしたり、ガクッと斜めにずれたりするのを何度も上昇の言葉で軌道修正して、意識の最上層にある、審判の光の層まで登って行った。
審判の層についたら、なんとなく周りに強い光が眩く満ちた感じになって、審判を求めるかどうかを聞かれるので、「YES」と選択する。

そうしたら、意識の世界で体が真っ白く燃えて、瞬時に溶けるように消えてしまったようなイメージを受けた。
気がつくとビジョンの中に光に溢れた宇宙が見えて、天の川のような星雲を感じた。私自身が燃え尽きた後に、透明な水晶のような、七色の煌めきを持った結晶が一粒残っていた。直径およそ1.5センチ。

芥子粒→小豆大→大豆大と、最近ちょっとずつ成長してきたけど、あれ、私の中の神性ってやつなのかな?

 

その後、意識をこっちに引き戻して体調を確認してみれば、周りの空気が軽い。頭痛もなく、強烈な吐き気も消えて、気分がすっきりと楽になって、帰りの歩みも元気よく帰っていけた。

 

――きっと皆、たくさん嫌な思いをして帰ってきたのだろう。

 

けれども、その嫌な思いを放出していることで、誰かを苦しめているとは思いもよらないに違いない。
まだ多くの人は知らないけど、荒れた精神状態で人が放つエネルギーは、抵抗する力の弱い人、抵抗の仕方を知らない人、敏感な人を追い詰めて、最悪殺すところまで追い込んでしまう。

 

私の人生は、ずっとそのエネルギーに耐えることの連続だった。こうしてエネルギーに耐えて、それ以上に浄化ができる程度には丈夫になれたから、まだ、都会の喧騒の中にいても正気を保っていられるけど。

 

自分が誰かを間接的に殺しているなんて夢にも思っていないのだろうけど、いつか波動を学んで気づいてほしいなと思う。
自分のかぶった闇のエネルギーを増幅した上で、誰かにしわ寄せで押し付けるなんて、本当はしてはいけないことなんだ、と。