SHINLOGY界隈で話題(?)のDakkey Computer。
起動すると場の波動が軽くなるのもさることながら、映像・音響体験等、感覚系の体験の再現性がすごい。
音響体験が良いのは何人もの人が口をそろえて「すごくいい音がする」と言うのだけど、それだけじゃなくて、食べ物や風景の写真を見ているとその写真に写っているものの味や食感、香りが、頭の中に再現されて伝わってくる。
野山の風景を見ていれば、その場に生えている植物の香り、季節の空気の香り、そういった臨場感のある情報が、頭の中に再現されて伝わってくる。これも波動だったのか…?
まるで和歌を読んでいるよう。
実は、悪いものも、影響についてはカットされつつも、「あまりよくなさそう」という印象があったりする。
でも、全ての体験が良く感じるのかというと、そうでもない。
好きなゲームやアニメの音楽をDakkey Computerで聞いてみると、なぜかその音楽が、音が良くてもひどくスカスカと空虚に感じてしまう。
演奏者や作曲家の音楽性、精神的な解釈、そこに込められたデータや論理性といったものが、ノンバーバルな情報系として私たちは五感でDakkey Computerを通じて感じ取れるはずなのだけど、ずいぶんと間が抜けたつまらない曲に聞こえてくる。
Dakkey Computerで再生、再現されるコンテンツは、どうやら、その場のまことの姿しか映すことができず、虚飾や魔的な装飾は剝がされてしまうようだ。
となると、もしかすると、この世のコンテンツの作成者は、人気になるために無意識のうちに、闇のマネーや悪魔的なナニカと契約をしていることになってしまうのかもしれない。