通信-13年8月11日
Wednesday, September 11, 2013, 12:41
(2013.8.11 pm2:)
生きて体を持つ間に
お会い出来たことに感謝をし、
そして、
これまでの、このものの行ないに対して、
深く、陳謝を申し上げる、
先々のことに関して、まず、
深く御礼を申し上げる、
気付かない振りをし続けることに対して、
そろそろ時間の限界を感じて来たので、
まず、詫びを申し上げ、
そして、今後の事に関する、意思表示を
しておくべきであることに異議は、なし、と
判断をし、このものに申し伝えておく、
生きたまま、業火に晒され続けるのか、
あるいは、否、お役目、果たせず
このまま追放と、なりぬるのか、
そのことを、しかと、認識をし、決断をする
時期(機?)が、そろそろ近づいてきた、ようであり、
果たせぬままに去りぬるものとなるための選択肢というものは、
甚だしくも、用意は、されておらぬ。
この世(代)における、身をも心(芯)をも尽くして、
闘うべき、このとき(時、際、刻)に、…
——————————————
(※思いのたけが延々と続きそうでしたので、
ここで切りました。)
通信-13年8月7日
Wednesday, September 11, 2013, 12:39
(2013.8.7 pm8:55)
私は あらかじめ この知識が
いずれ もたらされることを知っており、
そして、わざわざこの時期を選んで
生まれて来たものです。
この世における、起こる事象や、その他、出来事などを、
あらかじめ知らされており、それらのことを
全て承知の上で、今、この時期に、
生まれ出でて来た、ものです、
ひとごころにおいて、自分自身で判断の
出来るものではなく、
ただ、ある種の目的性と方向性というもの
だけを携えて、今、この時期に、
産まれ、出(い)でて来たものです、
神の意識というものが、肉体を持つ人身に
どのような影響を与えるのかを、
あらかじめ知らされていて、そして、その
本来あるべき目的というものに到達するために、
長い時間をかけて用意をしてまいりました、
人間としての自意識というものではなく、
ある種の、人に影響を与え得るものとしての
存在として、今、この時まで、存在をして参りました。
すべてのお話は、ある方向性と目的性というものを持って存在をしており、
人としての肉体を持つものは、その役割を担い、
存在をしているものに過ぎないということは、
予め知らされており、
認識をしているつもりで、ありました。
予め知らされていたことは、
それを検証するだけの事象として、現実のものとして
この世に顕されているだけのことに過ぎない
ということを知り、
そして、いつか人類は、このことを自ら自身で
知ることになる、ということを、
ある存在の側から、身体を持つ、人としての人間存在へと伝えられたというだけの
お話に過ぎません、
早く、そのことに気付いたものは、いち早く、
人の子としての新しい人生を歩むことになるのでしょう、
それらの経緯は、あとから来られた方達ほど、
いと早く、短い期間のうちに学ばれ、そして
到達することが出来る領域であるのでしょう、
ひとからひとへと伝えられる物語は、
簡単なようでいて複雑でもあり、
焦り、気をもんで急ごうとするものほど時間がかかり、
自意識で、認識をしていないものほど、
早く(速く)に到達をするものなのでしょう、
いくら時間をかけても、あるいは、それらのことを
欲していても、今生において、それを得ることが
出来ることがないと印(しる)されているものには、
次へと、まわされ、
当人がたとえそれを望んでいなくとも、今の世において
成すべきであるという印(しるし)がなされているものには、
その、お役目が与えられる、ということであり、
これまでの何億年にもわたる地球の物語を、
担うことが出来ると判断されたものには、
それ相応の役割が担わされる、という
ことなのであり、それらのことは、誰かが
決めることなのではなく、予め、ご当人の魂に
プログラムが書き込まれている、という、お話であり、
物語として用意が成されているというだけの
話でしかない、というだけのことである、
到達するまでの期間や、その他のプログラムは、
予め、その個体の魂への、書き込みが成されているというだけのお話に過ぎない、
その他の他者との比較ということの不毛さに
気付いたならば、自身の魂のプログラムと呼ばれて
いるものに、始めて向き合うことが出来るのかもしれない。
それらの一連のお話と、ストーリーというものに、
気が付くことが出来るのならば、はじめて、物語の
方向性というものが、認識することが出来るのかもしれません、
それが、このちの用意、ということなのでしょう。
~pm9:23
通信-13年6月27日
Friday, June 28, 2013, 14:36
(2013.6.27 pm6:25)
群れて、
仲良しお友達グループの 関係を
続けている限り、
ひとりひとりの人間が、
自分の役割に気が付くことは
難しくなる。
ひとりひとりの人間が、
自分の頭で考え続け、
何をするために この世に生まれてきたのかが
分からなければ
その生を終えるときに
後悔をすることになる
横のつながりを持ち続けようとすることが、
自分自身の歩みの速度を落とし、
明確な目標と、目的地へ到達することの
意味と意義という シンプルな論点を
見えないものと してしまうことに気が付かなければ、
正しい目的のために はたらく、という
ことについての 解答を導き出すことは
とても 難しいものとなります
世の中に出て、はたらくということが
人と接することによって 自分自身への学びとなり
それらの経緯を経たのちに
自らの生まれてきた意味と、目標とするもの、
それに付随した到達点というものを
自らが 自ら自身で発見することが出来る、
ということを お伝えし続けているのです
いと 小さきものとなり
扉を閉めて ひとりで祈りなさいということの
意味が分かったなら
ひとりで学び 判断をして 行動をするということの
重要さに
気が付くことが出来るはずです
向かう先を、決めておくということが、
ご自身の人生の方向性を定めることにつながります
それを 決定付けておくことが、
中心軸のぶれない状態へとつながります
それが あなた方にとっての最短ルートであり、
その人生を 生き抜く上での 道しるべであることに
気が付いたなら
これから 先の人生において、指針となるものが
何なのかを 認識することが 出来るはずです
それが、こたえ、なのではないでしょうか
ご伝言-13年6月26日
Thursday, June 27, 2013, 14:12
(2013.6.26 pm8:30)
『精神学』 とは、
人間精神を、
学びの対象とした、
唯一の学の門です。
自らが、エントリーをした、
その意味と理由を、
今いちど、
お考え下さい。
通信-13年6月20日
Thursday, June 20, 2013, 18:22
(2013.6.20 pm3:30)
物に依存をすると
それが無いと不安な状況に陥る。
頼るということが その人間の杖となり
その杖が無くなると 不安と恐怖で、身じろぎも
出来ない という状況下に
陥る
何かにすがり 助けてもらおうとするルールの中で
生きている限り 物であれ 人であれ
依存をすることでしか 生きてゆけない
根無し草のようなものとして
生きてゆくこととなる
あやふやで不確かなものが
その人間存在の象徴として存在の基盤を
持ち続けている限り
自己の正しき認識、正しき判断、
行ない、行動といったものとは無縁の、
何かに すがり付くような生き方しか出来ないもの
として その場に浮遊をし続ける、
ということである、
何かの助けとしての補助的なものとして捉えるのか、
それとも、そのものに助けてもらおうとして
すがり付くのか
自らの救い主は 自ら自身であると、
予め 伝え続けられていることの主旨は
淘汰され、
自分を救ってくれるものを 永遠に求め続けることの
不毛さに 気付くことが出来ない限り
人として 自己の人生に責任を持ち
判断と行動を共にして
この先 生きてゆくということの理解をせずに
不毛な 残り時間を過ごすという選択をするものに
次のチャンスというものは 無いということを、
伝えておかなければ ならないのでしょうか、
自身の救い主は、ご自分自身です
そのことに 気が付いた方から
次のステージへの扉は用意がなされているのでしょう
見えない何ものかの恩恵を得ようと
すがり続けている限り
自己の状況を 冷静に客観的に見ることは
難しくなります
ひとりひとりの 成長の速度は
ひとによって異なり、
遅いということを危惧して
焦る必要など どこにもないのです
ただ、自らが向かう方向性を
自身で正しく位置付けておかないと
迷路の中で自身を見失うといった状況が
起こり得るのかも しれません
物ごとの動機付けというものを 明確に
認識を しておかないと、
到達点を 決めることさえ出来なくなります。
そのことを頭に置いて、行動をして下さい。