通信-13年12月12日
Tuesday, December 24, 2013, 13:18
(2013.12.12 pm10:50)
あなたが向き合っているものが、
「何なのか」
その実体が分かれば、
解決法を考えることが出来るのでしょう
あなたに対する
課題であると、とらえれば、
何を克服しておかなければ
次へ進むことが 出来ないのかを、
知ることに なるのでしょう
これまでの 人生において、
このような課題とテーマは、
幾度となく、置かれ、
その解決法を考えるよう、
あなたの眼前に、置かれてきたはずです
乗り越えることが出来なくば、
そこに捨て置かれ、
そのまま、朽ち果てることになることは、
何も説明をしなくとも、
これまでの実経験、実体験で、
充分に勉強をさせられてきた、
はず、のことなのでしょう、
“ひとのおもい”というものが
どれほどまでに人間を束縛し、
そのおもいによって人間の判断や
行動といったものが規制される
ことになるのかを、
あなたは、もう、充分な程に
学ばせてもらってきた、はず、
なのです。
これから先の世において、
何をもって基準とし行動することが
求められるのかを、
あなたは、この数年で、
もう充分に学び得た、はず、
なのです。これから先の
この世のことが、あなた方に既に
どのように委ねられているのかも、
もう既に、知らされているはずの
ことだと(?) 認識しています、
その親を、選び生まれてきたことの理由を、
今一度、考えてみて下さい。
その先に 何をつくり出して行かなければ
ならないのか、の こたえも
その延長上に置かれていることに
気付くはずです。
見えても見えず、聞いていても聞こえない
ものの、その先に、為すべきことが何なのかを、
知るべきものには
知らされることになるのでしょう。
それは、そのことを担う用意が出来たものにだけ
知らされることに なるからなのです
用意が出来たものの蓋が、開(あ)く、とは、
そのようなこと、を、指し示しているから、
なのです。
通信-13年12月5日
Friday, December 6, 2013, 14:53
(2013.12.5 pm5:30)
あたまが 出るぞ
あたまが、でるぞ
しっぽと おっぽの先に 巣食った
あたまが、でるぞ
見えかくれ しておろうな もうすでに
あたまの 先が もう すでに 出ておろうがな
ききかいかい (奇奇怪怪?)
ききかいかい
見えても 見えんものの 正体が
これから 今、 あばかれるぞ
何とかしてくれ いうとるものが
その身のなかに 巣食うておるぞ(よ)
いめーじ とれーにんぐ することは
できるのだが
そのために かいしょなし と (甲斐性?)
いわれ続けてきたものが
今、とり押さえられて いるとこじゃ
しっぽから おっぽから そろそろ 出てくるものが
おるぞ、 おるぞ、
ぞろぞろと おるぞ、
ゆうこう かつよう できんものの 正体が
いま あばかれて しもうたな
せっかくの いい きかい だから
とつとつと はなしを するものたちの
言いたいこと やらを
聞いてみるのも よいのじゃろ
あーたま 隠して
しり 隠さず
世のなかのために
ゆうこうかつよう できんものは、
これからは、 ポイ、 なのじゃ
そのへんのことは すでに わかっておろうに
ちいーとも 世のため 人のために
活きては おらんことを 大事にしていても、
これから先の この世では
相手にされんことに なる ということなのじゃ
もう すでに 時空のゆがみは 解消されて、
あたらしい 世のなかづくりの 方向へと
向かいつつある のであるから
そんな ところで スピリチュアルやらを
いとも 大事に 思うておるもんは
これからの このよのなかでは、ワヤやわな。
(もしくは、ポイ)
みらいを そうぞう(創造)せい
ということは じぶんたちのてで
生みだしてゆく ということ
どっかの しゅうきょう(宗教)せんせいの いうこと
ありがたがって きいておっては
はい さいなら。 なのじゃよ
そのへん わかっておらん にんげんは
いつまでたっても じぶんの小宇宙のなかで
どうどう(堂々)めぐりを することに なるのじゃろ
ざんねん むねん、はい、さいならでした。
よくもわるくも にんげんに 指示や 指図を
するような 低級レベルのものを 有難がっている限り、
自分で未来を創り出してゆく
努力家さんたちチームのお仲間入りは、無理じゃろな
ほな これにて しゅうりょう ということで。
通信-13年11月24日
Tuesday, November 26, 2013, 12:11
(2013.11.24 am7:30)
わたしが やしろに
たたかい やしろを
もうける ということは
えんえんと つづく
たたかいを
その み やしろに
おきかえる ということ
なのです
たたかいは かこくであり
そのみを やきつくさんと
するばかり なのでしょう
その み やしろが
しんぱんの うつわであることは
もう すでに おつたえずみの
ことでは ありますが
たたかい やきつくすことの
いみを しらぬものに とっては
すみかとなり (棲み家?)
そのやどぬし たるものとして
そんざいを しつづけようと
することでしょう
いながきを おいて
それらの しんにゅうを
はばもうとしても
それらのいとするものは
ぶっしつをこえ にくたいをこえ
あなたがたの いしきのりょういきに
はいりこみ すみかを(棲み家)えようと
することでしょう
やきつくすことの いみをしらないものは
いばしょを あたえることに なるからです
うちなるものが 欲する 動機と
よそから 入ってこようとするものの
欲する 動機 が おなじものと
なったとき
いばしょを ほっするものと
いばしょを あたえるものとが
同盟を 組むことに なるからです
自ら以外に 価値のある何か
というものを すうはいする ということは
それらのものに 居場所を
自らが かいほうし 与えているということです
乗り物や 操り人形のように
頭のなかで しゃべり 指示をするものが
その人間存在の 所有者になり
ああしろ、こうしろ、と言って
宿主たる にんげんに 指示をしはじめます
その 指示どおりに うごくことが
天の意であると 信じて
たにんを 教導し
破滅に 導いた にんげんの
どれほどまでに 多いことなのか
あなたがたが それらのレベルに
達するということは
それらの危険性をも はらんでいる
ということなのです
人間として その人間性を成長させた
ものであるならば
何が正しく、何が誤っているのかを
考え 判断することは 可能なはずであり
頭の中でしゃべる 自らにあらざるものの言う事を
真に受け それが あたかも真実であるかのように
たにんに言い伝えるものとは
一体 何ものなのでしょうか
無意識領域のなかで、
たにんを支配し 自らの手のうちに置きたいと
願うものは
そうやって 自らの意識領域を かいほうし
自らにあらざるものに 居場所を提供することに
なるのです
その アタマの中に居座るもの とは
はたして 正しいもの なのでしょうか
ほんらい 正しきもの とは 指示せず
干渉 することも ないものであり
レベルの低くエネルギーの強いものほど
そのみの しゅじんとして
たにんをも しはいをしようと するもの
であることに 気が付かないかぎり
あやまった 教導者として
その人生の みちを 誤り続けることに
なるのでしょう
うちなる存在のなかで
それらの 意識領域を 専有しようとするものを
焼き尽くしてしまわない 限り
自らが 住まいを 提供している という状況で
あることに 気がつくことは ないのでしょう
過去の宗教者が 犯した あやまちを
繰り返すのですか ということが 問われることに
なるから なのです
能力が たかまる ということは
その能力を どのような目的に 使おうとするのかによって
道を誤まり 戻って来ることの出来ない領域へと
踏み込むことになる 可能性があることを
知っておかなければ なりません
こたえは 予め 置かれています
見なかった 知らなかったという 言い訳をすることも
自由です ですが
何の目的を持って能力を使おうとしたのかが
決定的に 問われます
自らの存在以外に 尊いと思えるものに
その人間存在の居場所を与えるということが
意図するものが 何なのかを 知らない限り
しんぱんの うつわ として
やきすてる ということは
むずかしいものと なることでしょう
やきすて しまつをする ということに
躊躇があって 居場所を与え続けていることが
自らであることに 気が付かない限り
ほんらいのじぶんに あらざるものが 意識領域の
ご主人さまに なる ということなのです
あたまのなかで しゃべるものが
価値あるものである という 認識を持った瞬間に
ご主人さまが すり替わる ということを
言い続けて いるのです
人間としての自意識が 正しいものであるならば
自らにあらざるものの存在の言う事を
聞く必要もなければ その指示を真に受けることの
おろかさに 気が付くはずです
過去の宗教家 というものは
そうやって 自らにあらざるものによって
“つかわれて” きました
体(てい)のよい 乗り物 とは そういうことだからです
しんぱんのうつわ として
焼き捨てることの 意味を もういちど
よく 考えてみて下さい。
にんげんは、神たるものの 器にも なりえ、
悪魔たるものの 器にも なりえる ということを知り
それらのものを分離して 処分をするということを
常に意識をしておかない 限り
乗っ取られることになる、と、お伝えをしているのです
こたえは予め置かれていることの意味を お考え下さい